諏訪湖SAを見下ろす 孤高の一本 気高き赤松

寒風吹きまくって外仕事などまったくやる気なし。

もっとも物置2階の工作に付きっ切りではありますが・・・。

しかし私の言う「寒くて寒くて・・・」の言は東北・北海道の方たちから言わせればヨタ話しの一種でしょうね。

体感温度はずっと低く感じますが、そうは言っても寒暖計の数字は10℃前後ですからね。命に関わる寒さとは言えません。

 

先日は東京青山の児童相談施設に地元の人たちのヒステリックな反対意見を見ましたが京都市のホームレス救護施設の建設でも同様のモノ申す人たちの剣幕が聞こえてきました。

私の寺なども迷惑施設であると暗に匂わす言動を見聞き(墓地の景観が悪い、線香くさい、陰気くさい等々)、実際に不動産価格の評価としてマイナス要因となっているようです。

 

寺が迷惑施設だといわれても、それを言うどなたさんの生まれる前から当に存在しているという開き直りから「どうってことはない」と平気を決め込んでいますが、近隣対策は気を使わなくてはなりません。

特に何度もご指導をいただいている火の件はいよいよ面倒になってきています。

一般家庭における野焼き・焚火などの規制の延長ですが、以前でいえば夜間の法事に境内「焚き木」は当然であったでしょう。拙寺では夜間の法事は年間二度ほど予定がありますが、いずれも今は街灯・電灯のみ。

岐阜の「三寺参り」とえば夜間参拝がメインであるとともにその寒さの厳しい地にあって焚き木は不可欠ですからね。

 

先日見た回覧によれば寺院に不可欠な「お焚き上げ」と呼ばれる宗教行事についてもそのたびごとに消防署に事前連絡をするお達しがありました。

そのお焚き上げは真宗寺院にあってはそう多いものではありませんが、中には「ゴミに出せないから引き取って」と写真に法名札に母親が持っていた昔の位牌等々どんどん溜まっていきます。

 

迷惑施設に戻ります。

その手の住民による反対は特に新設の場合よく出てくるようですが、大抵そういった施設というものは社会的弱者を救済しようとするものですね。

中には幼稚園・保育園の新設に怒り狂って反対している人も居ます。

 

みなさん自身は人様に迷惑になっていない、またかつて人の手を煩わしたことがなく、そして未来に渡って「私は他人様の迷惑にならない」というご立派な方たちばかりのよう。

「私は善人である」の大なる主張なのかもしれません。

 

無言でその大いなる主張をしその姿に威厳さえも感じたのは諏訪湖SAを見下ろす赤松でした。

吹きっさらしで今頃のあの地はさぞかしシビれるでしょう。