関所手形にハンコをつく 家主は連帯保証

一昨日の史跡研究会の会合でいただいた、というか勝手にパチリと撮った史料に関所手形がありました。

早速、吉祥寺の叔父に転送し講釈を依頼。

 

此者遠州藤五郎と申者ニ而此度

江戸表ゟ国元江罷帰り候間

御関所無相違御通し可被下候若此者

之義ニ付故障之義出来候ハヽ私何方迄も

罷出申披可仕候仍如件          

                  江戸霊巌嶋

 

  巳七月廿八日          家主      

     箱根            傳左衛門 印

       御関所

 

遠州の藤五郎が江戸の霊巌嶋(中央区新川)から遠州の国元に帰るにあたって箱根の関所の通行手形を家主の傳左衛門が発行したものですね。

以前「家主長兵衛」(梅雨小袖昔八丈―髪結新三)について記しました。家主と店子の関係の何たるかを家主の長兵衛のが強圧的に新三を脅してカネを巻き上げようとするシーン(「鰹は半分貰ったよ」)でした。

その時の台詞で「大家と店子の関係について大家は親と同然、店子は子も同然」と肉親親子関係に等しいといったものがありました。

 

劇中、新三ほどのワルが犯行がバレたとはいえ何故にして大家にそこまでやり込められ、挙句にカネをむしり取られるのかと思う方もいるかも知れませんがその台詞について何らの大袈裟な誇張はありませんね。

 

「家主」を今風に解釈すればアパートなどの所有者のこと。

しかし江戸期の長屋の「家主」は「管理人」のこと。

一言でその上に大名やら大店やらの本当の所有者がいてそれらから雇われている管理者のことですね。

その管理者たるお仕事は、長屋の施設管理は勿論のこと、お上との中間位置にあって居住者の戸籍管理、役所への届出等の責任を負いました。

 

半ば警察のような管理にも及ぶこともあったかと。

極論を記せば家主が居なければ店子は社会活動ができないほどであって、店子は家主と絶妙良好の関係を維持することがなによりも必要だったのでした。

よって家主の言うことは「絶対」。

親とも同様というのはお上の意向も背景にあるということを表しています。

 

関所手形の件に戻ります。

手形のパターンは画一的でだいたいあの手の形式といいます。

江戸表ゟ国元江罷帰り候間 の「ゟ」は「より」

「間」は「あいだ」の読みですが、この場合は「~するので」と理由の意。

古文書パターンで特筆はその後の空欄の件。

改行した冒頭に「御関所」とありますが、その部署(お上の権威)への敬意と「恐れ多い」の気持ちを表すための公文書のお決まりの形式ですね。

それを「闕字けつじ・・・欠字」と言うようです。

 

故障之義出来候ハヽ私何方迄も の「故障」は「こしょう」読みですが「さしさわりの出来(しゅったい)」があればこの手形を発行した「私」-家主の傳左衛門が何方迄も いずかたまでもその処理責任を負うために探索し当人に責任を取らせるという証文となります。

 

家主も大変ですね。

札付き者は店子にしたくない理由は大いにわかります。

要は店子に対して家主は連帯責任を負うということでもあります。親と子以上の関係と言ってもいいかも知れませんが、叔父さんが言うにはこれは江戸特有。

民のことは民、いざこざはなるべく「起こさず、公に持ち出すな持ちこむな」の為政者の方向性。

「お上の手を煩わすな、手を焼かすな」です。探索捜索までしなくてはならないなんて・・・

 

今は高給取りでやりたい放題のお上になんでもかんでもやってもらわなくては。 

 

上記の画像①は昨晩開いた直後のPCモニターの画面。

どういう管理とシステムでこういった画像が入れ替わり立ちあがるのかわかりませんが、毎度ハッとするような画像が出てきます。そういえば本日旧暦12月16日。満月です。

夕刻、日没直後、クリアな空気にあのような真ん丸の月が浮かぶことでしょう。

それにしても素晴らしい画像。

著作権に触れるかも。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 21 1月 2019 13:16)

    今朝は満月?昨日のニュースでは「明日」でしたが
    今朝は「明日」ですね。歩く道も月光で懐中電気はいりませんでした。
    北の空で流れ星が一つ。得した気分です。
    落語で出てくる「大家と言えば親同然、店子と言えば子も同然」
    言うだけでは無く本当だったんですね。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 21 1月 2019 21:12)

    ありがとうございます。
    いつもとはちがって夕方から外出してみました。
    勿論キレイな月を眺めるのが目的です。
    久し振りに絶妙を感じました。