青山の鎌倉期宝篋印塔ほか石塔たち 近江善勝寺

こちらは海を隔てた場所に火山はありませんが、このほどインドネシアで起こった津波は地震の発生を原因としてものではなく「火山噴火による海底の地滑り」といいますから驚きです。

日本では「島原大変肥後迷惑」なる伝説的言い回しが残っていますが、実際に起こりうることですから狭くて入り組んだような海峡を挟んだ地形に於いて「対岸の火事」では済まされないのですね。

ただし海の中で起こっていることはわかりにくいですから危機的状況を理解して避難行動に入るそのタイミングが取りにくいでしょう。

やはり日頃からそのリスクについて対岸の住民たちで共有していくことが必要ですね。

 

ちなみに私どもの住まう遠州灘でいえば伊豆半島西岸での地質学的有事がその手の「対岸」になりうる事ですが、それ以上に恐ろしいのが富士山、地震、地震による津波ですね。

 

昨日は近江の青山の墓地について少々触れましたが、あの集落の段丘の下の善勝寺境内と向かいの墓地には鎌倉から室町時代初期の石塔があります。

美形の宝篋印塔は鎌倉、笠塔婆は文和三年(1354)の銘といいますから室町でも早い時期ですね。尚、掲示板の「一弧素面」は宝篋印塔の笠の四辺、隅飾の装飾形状のこと。単純シンプル最小限。

それについてを強調(宝篋印塔の製作年代としては古式―鎌倉中期を示唆)しているようです。

 

 

鎌倉期の石塔が何気なく佇む、近江の青山(せいざん)と言う地には真に癒されます。トーキョーの青山とは雲泥の差ですね。