比叡山勢の法然さんの墓あばき 念仏三昧院光明寺

史跡研究会の方が京都国立の刀剣展には「3度行った」と。

私もその興味ある企画に一応は行きたいと悩みましたがついにそちらに向かうことができず仕舞いでした。

会場初日はいわゆる「刀剣女子」たちの集中があってロクに見られなかったといいます。

先般は特に帰りに嵐山へ向かったそうですが、筆舌に尽くしがたい人の「嵐」となって閉口させられたとのこと。

強烈に溢れかえる外国人観光客の行列雑踏ですが、恩恵のあるところはごく一部、いい加減拒否反応も起こりつつありますね。

私も嵐山は嫌いな場所ではありませんが、とにかく超絶人気スポット。修学旅行の季節と重なればこちらへ来てしまった自分自身を呪うことになりますね。

 

京都各地どちらでもその傾向がありますから有名どころとなれば同じようなものですが。

 

さて、人混み嫌って京都をのんびり散策するには昨日記した天王山や長岡そして以前竹林公園などまだまだ「人少なし」の場所はあります。特に西山方面はおすすめですね。それに反して東山はどちらも無茶苦茶です。

 

朝堂院公園から少々、西の山の裾を行くと光明寺(場所はこちら)があります。元の名は「念仏三昧院」です。

この寺は熊谷次郎直実ゆかりのお寺と門前に掲げられていますが法然上人の多くの門弟たちの行動によってそま成果を得たのですが結構にドラマチックなものがありました。

 

事件の概要は「嘉禄の法難」でググっていただければと思いますが要は法然さんの死後ますます繁盛してきた専修念仏の風潮に「けしからん」と比天台座主はじめ叡山宗徒が苛立ちまくって実力行動に入ったということです。

特に朝廷に対して法然の弟子たちを流罪にするよう働きかけ尚法然さんの墓を壊し挙句遺骸を鴨川に流そうという動きになりました。

すると法然さん信奉の弟子その他武士たちが集まってその遺骸を守り切ったというものです。

 

あっちこっちと法然さんの遺骸は隠密裏に移動し最後はこの念仏三昧院にて弟子たちに見守られながら荼毘に付され、遺骨は知恩院はじめ各所に分骨されました。

ということでこちら念仏三昧院が法然上人の荼毘所ということになりますね。

寺伝としては法然さんの石棺から、まばゆいばかりの光が輝いたということから光明寺となったといいます。

 

きっとこの時期なら紅葉をのんびりと楽しめるのではないでしょうか。

私が伺ったのは以前の夏の候ですので山は青々としていました。勿論、そちらの空気はほとんど私独りで占有させていただきました。