昭和51年1976 相良城再建を推進する会の件

やはり今回の静岡大停電台風は遠州各業態隈なく被害を及ぼしていますね。昨日は農家のハウス大変の件をうかがいました。既に植え込みが終わっているハウスのビニールが飛ばされてしまったと。

こつこつとビニールを張りなおし完了したそうですがこの秋、暖冬気味で何とか助かったそう。

 

私も北西風がやんだこの数日の外仕事は薄着に戻して動いていました。風の無い良いお天気の下で気を詰めて仕事をすれば汗が出てくるくらいです。

昨日はナギの木の伐採(軽一車分)を主に行いました。

 

毎年恒例の赤色ハイビスカス用に工作している自前の温室は、前年の地植えベンジャミンが枯れたためにパイプを短くして設置しなおしました。さすがにベンジャミンは南遠といえども地植えは無茶でした。尚、ビニール張は来週あたりに行う予定です。

 

さて、相良城の件、昨日の続き。

今から半世紀ほど前、相良が「牧之原市」などいう野暮な名ではなく「城下町相良」として胸を張っていた頃の件。

よく言われていた、当地の一大キャンペーンの一つ「相良城の再建」についての冊子。こちらは昭和51年(1976)の年号が入っています。

 

今回画像は②→①が正順。

相良の陣、砦、城の推移がかなり端折っていますが適当に纏められています。

やはり「天守閣」の三文字に拘っているところがありますね。

どこかでも記したことがありますが「城」といえば「天守閣」というイメージは致し方ないにしろ、当時はその勇壮な天守閣は当然にあっただろうと思われていてそちらを復元したいというパワーが蠢いていたのでした。

相良「御殿」の構造が図面で残っていなかったことから再建運動は頓挫してしまいましたが、今となっては強行に建設しなくて良かったと思うばかりです。

吉田の小山城の見苦しさと同類になってしまいます。

尚11月3日は小山城まつり。模擬天守の下の広場にはたくさんの人たちで賑わいます。

私は午前法事、午後からペンキ塗りの予定です。

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コメント: 2
  • #1

    野村幸一 (日曜日, 04 11月 2018 05:59)

    相良城の再建、昔はよく看板見かけた記憶があったのですが近年見かけないなぁと思っていましたがそういう理由だったのですね。相良藩は貴重な史料の散逸が多いようですね。ルーツ探索でもそこがネックになりました

  • #2

    今井一光 (日曜日, 04 11月 2018 07:34)

    ありがとうございます。
    再建が頓挫した直接理由は、「正式図面が空襲で焼けて」実証できない
    というものだったかと思います。
    ところがそんなものは最初からなかったというのが今回の発見です。