伝承判明 拙寺阿弥陀三尊の作者 まさかね・・・

昨朝テレビを点ければまたもや恐怖の映像。今度は北海道での地震被災でした。

私どもの味わった「駿河湾沖・・・」では震度6弱でしたから震度7の揺れとはまったく異次元、想像を超えています。目に飛び込んできたテレビ画面の画は一言で「惨状」でした。

最近は自然の猛威の頻発によってその手の画面は慣れさせられてしまいましたが、あらためて私たちの命が綱渡り的無常の線上に生かされているということを思いました。

被災者にとっては心が折れるような状況かと思われますが安寧と早い復帰を願います。

 

震源地から離れた内陸部に住まう知り合いに夕刻になってメールにて消息を伺えば「あいかわらず停電で閉口している」とのこと。

その方は「北海道電力の人災」と仰っていましたが、もしコレが冬場だったら・・・と考えるとそら恐ろしいと。また反省の弁もありました。「まったくこの手の事に無警戒だった」です。

 

私たちは「生まれてからずっと」と言っても過言ではないくらい地震と津波についてその恐怖を摺りこまれて生活してきましたが、ハッキリ言ってその被害を想像するだけでクサクサしていました。

「その時」の対応力については多少の違いはあるかも知れませんがとにかく自然のやること(台風・大風・大波・津波・雷・地震・津波山津波)に人間が対処抵抗するなどその準備などできるハズもなく・・・どちらにしろお手上げですね。「逃れがたきは無常なり」(御文)です。「+人(災)」がかかわるというのが一番に厄介なのですが・・・お気の毒としか言いようがありませんが、液状化は埋め立て盛土の地に特有。家を建てるならまず古い地図と睨めっこしてください。

 

さて、本日も昨日の続き。お上に提出した書面から。

この書面は8月下旬に土蔵から引っ張り出した書物の中から見つけたものですが、「へ~え」と私が父や祖父から聞いていなかったことばかりが発見できました。

昨日の水難と地震によって太子堂と四脚門が失われたという文言は驚きでしたが、まだまだ初見はありました。

 

それが三幅の軸「隠元・木庵・南源」ですが、私の知る限り見かけていません。祖父がいうには報恩講(約一週間)でたくさんの軸を虫干しするならいがあったそうですが報恩講が終わるとお軸の1つ2つが消えていたといいます。よって「今はない」理由も推測できます。

当時の報恩講はやたらと坊さんを集めて盛大に催されていましたしその本堂で参拝者も寝起きしていたといいます。

 

またずっとどなたが書いたものかと一応気にしていたあの阿弥陀三尊図の作者がわかったことは画期的。

ただしあくまでも口伝であって今それを冷静に考えれば「まさか・・・」ですね。

それが「円光大師筆」。法然さんです。

 

また御本尊阿弥陀さんについて私はどなた様にも「室町期の仏さん」とご説明していましたが、なんと聖徳太子作と。しかしどんな口でそれを言うのだろう・・・というのが今の気持ち。

まぁ「素晴らしい」のオンパレードですが、まぁ「そんなとこ」ですね。

 

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コメント: 7
  • #1

    小山昭治 (金曜日, 07 9月 2018 08:59)

    おもしろいものが出るものですね。
    これでは止められない。
    まだまだ 出てくるのでは無いでしょうか。
    たった一片の書でいろいろ推測するのは楽しいです。
    いっそ ミステリー時代小説でもどうですか。
    「大澤寺の変」  題名は決まり!

  • #2

    河東 (土曜日, 08 9月 2018 13:54)

    1年後であれば石狩湾1号機が完成していて全面停電に至らなかった可能性が高いのですが、災害は待ってはくれないのですよね。ー旦ブラックアウトするとなかなか復旧できないのも頭ではわかっていても実際にあうと違うものですね。

  • #3

    今井一光 (土曜日, 08 9月 2018 14:29)

    小山さんありがとうございます。
    私が聞いていないということは父も祖父も知らなかったから・・・なのでしょうが
    まさかあの土蔵からたくさんの文書が出て来るとは思いもしませんでした。
    新町の火事が無ければもっと古いモノの発見も期待できたのでしょうが。

  • #4

    今井一光 (土曜日, 08 9月 2018 14:37)

    河東さんありがとうございます。
    灯りを求めて発電機を設置し、またローソクを持ち出して
    一酸化炭素中毒や火災の禍にあった方のニュースがありました。
    電気が切れなかったらそんなことも無かったのに・・・と心が痛みます。
    本州から電気が融通できるシステムがしっかりと築かれていなかったという
    こともかなりの驚きでした。

    日本国内インフラ再点検はお国の仕事としてのテーマです。

  • #5

    野村幸一 (月曜日, 10 9月 2018 13:13)

    蔵の古文書、まだまだいろんな史料が出てきそうですね。野村家に関する記述が出てきたらいいのにと期待が膨らんでしまいます。

  • #6

    今井一光 (月曜日, 10 9月 2018 17:12)

    ありがとうございます。
    あれから体調は夫婦で絶不調に陥っています。
    古文書を触るのが怖い。
    雨が上がったらまたのんびりと整理しようと思っています。

  • #7

    野村幸一 (火曜日, 11 9月 2018 04:16)

    新町時代の墓石や古文書があつたらなとよく思います。