夏季小田原の墓地には花が無し 私は植木の仕入れ

「変な台風」12号の通過した後の朝は「雨よりも風の方」の強さを感じました。

木々の枝葉が千切れて飛ばされて境内も周辺もゴミだらけ。

セミたちも大分やられたよう。あ奴らの体形は強風対応にできていません。

 

本堂や庫裏、懸念していた木塀など無事で安堵しましたが、先日誤って傷つけてしまった枝垂れ桜の幼木は遂にダメになりました。

 

聞くところによれば周辺長時間の停電区域もあったようで、冷凍ものを取り扱っている商店はダメージを受けたのではないでしょうか。停電するエリアは「毎度お決まり」のような気がしますが気のせいでしょうか・・・

また、「小屋が崩れた、屋根の一部がめくれた」等の事案もあったとのこと。

いずれにせよ被害は些細で私の住まう「相良」という地は恵まれていることをあらためて感じました。

私にとって「牧之原市」なる名称はやはり「クソ喰らえ」であります。

 

ダメになった枝垂れ桜は本来のカタチではないのですが(「再生」は諦めました)気持ちの問題、同種のものを購入して「再現」の方向で動くことにしました。

本来は台風一過の晴天を期待して境内とその周囲の清掃をするはずでしたがまったく天候はコロコロ変わる猫の目状態。

路面が乾かなくては掃き掃除もままなりませんからね。

 

ということで午前の法事を済ませてから浜松の「浜北営農緑花木センター」へ向かいました。噂に聞いて訪れましたがそちらに行けばまずは所望する植木があります。

問題は枝垂れ桜は3点在庫がありましたがどちらも2m近くと少々大き目。

「えいやぁ」で購入しましたが車は息子のセダン。

助手席を倒すなどして雨交じりの中汗だくになって何とか詰め込み帰宅。

息子は留守にて少々の掃除を頼んでおきましたが、もし3人でノー天気に植木を購入しに来ていたら酷いことになっていました。奥方は後部座席に居て、車中なのに藪の中の如くと。

軽トラで来るべきでした。

 

さて、先日は小田原2カ寺の墓参りに行きましたが奥方はそれに関して、「お花は今あるもので・・・」など献花の心配をしていました。

ところがそんな心配をよそに小田原に参ってびっくり。

墓地内の墓石のどちらにも花は添えられていませんでした。

私どもは持参した花を花入れに差して焼香して逃げ帰ってきましたが、きっとコレは「夏の間はお花はナシにしよう」というお達しがあるものなかと思ったのでした。

 

それにしても不思議です。

夏は花の命はあっという間ではありますが、そのような手抜きはアリなのでしょうか。

私は「花が枯れて朽ちた姿もまたヨシ」(私たちのいのちもまたおなじ)と教わったものですが・・・。

これではきっと「暑いから墓参りも省略・・・」になるかも。

お花代が勿体ないから・・・それとも花ガラが朽ちて汚いから?掃除が面倒だから?いろいろと理由はありそう。

まぁナイのもナイなりにスカっとしていて悪くはないですが・・・

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 30 7月 2018 17:32)

    自分の都合のいいことだけに納得する浅はかさ。自分ながら自分に感心します。
    「花が枯れて朽ちた姿もまたヨシ」ありがとうございます。
    まさしく本願ほこりに塗れて満足しています。
    54日間の入院で「親鸞」を二度読み。改めて自分の浅ましさ、愚かさを感じています。
    今は退院したてで感謝の気持ちだけですが、仕事に復帰すれば、きっと、また煩悩塗れ。
    哀れな人間です。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 30 7月 2018 20:30)

    ありがとうございます。
    完治おめでとうございます。
    完全完治の数値まで、それにしても長かったですね。

    きっとこの夏は「思いっきり体を休めなさい」の如来のお達しかも
    知れませんね。
    ここはひとつ「大事にして無事を」の警鐘をいただいたと解釈し
    あまり気張りすぎずに助走程度で様子見してください。

    そう偉そうに語る私ですが、まったく「なっていない」身でそろそろ
    如来さまから何かの「お達し」がありそう。
    頭を冷やす時間は「是非に受け入れる用意はある」などと家中では強がりを
    言っていますが。