昭和17年築にして重文 俳聖殿 芭蕉の旅姿 

台風12号は昨晩21時頃が当地最接近。直撃は免れましたが意外に風が強く、明るくなってからどのような状況になっているのか少々心配・・・。特に前回倒れた本堂北側の街路に面した木塀。

 

午前の法事は晴れ間まで広がっていて台風などどこ吹く風の躰、有り難くも参列者皆笑顔で終了させていただきました。

事前の台風情報からすれば下手をすればずぶ濡れ覚悟でしたから。

午後からは池新田の叔母宅にて街灯の蛍光灯を取り換えたあと一番に怪しい木戸の緊縛をしてから帰宅、家に籠りました。

 

さて伊賀上野城の公園化した域内は模擬天守に忍者館そして芭蕉関連2件の建造物があります。

松尾芭蕉は伊賀上野の人としてその出自を地元では誉としていますがその作品を企画モノで紹介する芭蕉翁記念館そして松尾芭蕉を祀る俳聖殿です。

 

その俳聖殿の威容は特徴的で「芭蕉の旅姿」を表現しているそう。驚きは昭和十七年の建造物であるにもかかわらず国の重文指定となっていることです。

 

「時鳥」といえば夏の季語。当ブログでもかつて登場していました。

芭蕉はその鳥の名を自らの句で三十余も登場させているそうですがお気に入りのところ大いに納得します。

後世「聞きなし」といえば各地にその鳥の鳴き声に感情移入させている伝承を聞きますがあの声は情緒的。特に夜に鳴くその声はその気分を増長させます。

 

「時鳥 鰹を染に けりけらし」は夏の季語が二つ。

「鰹は1本もらったよ」のブログでも登場させましたが

目には青葉 山ほととぎす 初鰹」の季語三つの句を思い出します。

「鰹の真っ赤な肉質は時鳥が吐いた血で染まったのだろう、いやそうにちがいない」

 

口の中が血を吐く如きの真っ赤な時鳥は明治の俳人正岡子規が自らの病、結核からの喀血を自虐的に時鳥の異名の「子規」と名のりましたね。

昭和十七年というと戦時下、あの建築物が建てられたということは凄いことだと思います。おカネの力なのでしょうね。

皮肉にもその年は正岡の友人柳原極堂が創刊した俳句誌「ホトトギス」(正岡の俳号「子規」から)が廃刊した年です。

理由は「紙がない」だったそう。