世に「亀山城」数多あるが 作手の亀山城

昨日の相良は一日中曇天でした。

青い空と直射日光のジリジリ感は一度もありませんでしたが全国的な酷暑ニュースでしたのでまるでこちらだけ世界が違っていたよう。

横浜の友人に「どんなもんよ・・・」とメールで問い合わせれば「命の危険を感じる・・・」との談。

 

我慢強い彼の言葉とは思えない弱気に首を傾げていましたが、東向き高所の彼の部屋の室内温度は32℃に上昇し、エアコンが無ければ「アウト」と。

拙寺の庫裏の場合はエアコン使用で30℃ですので大した違いはありませんが・・・。尚、家中毛皮を着た小動物が複数いますので彼らに気を使って午前中からエアコンはフル回転となっています。

 

暑すぎますが一番に「こりゃあ嬉しい」と思うところは蚊の襲来が無くなったということですね。家の中まで入ってきて夜間悩まされることが多いのですが人間がすごしやすければ蚊も快適なのでしょう。

自然界水分が消失して奴らの住処も無くなり夜間お寺の庫裏は至極安泰「左うちわ」です。

 

しかし根性論などは禁物です。

何せ熱中症はその感じる暑さ、体調またその感覚は人によって、また時に違ってきますからね。よって他者を引率する教師、イベント主催者などはその発症の件、くれぐれも注意配慮する必要がありますね。

高校野球の予選が各地で催されていますが、応援団動員含めて「大丈夫なの?」と心配してしまいます。

(地元相良高校が三回戦進出となっています・・・)引率者の配慮は不可欠ですね。

寝不足・酒盛り明けの書生さんがいたとしてもわかりませんし、熱中症発症はその場合特に顕著です。

そして何よりその責を被ることになりますね。

他者をケアすることが保身に繋がる仕事だということを忘れてはいけません。「中止」の判断が隠れた「英断」となり得ます。

 

緯度の高いロシアの夏がアレだけ暑いとは思いもしませんでしたが、熱砂のトーキョーのオリンピック・・・どうなることやら。

アスファルトからの放射熱が直射日光のジリジリを倍増しそうで凄い過酷が予想されます。

まぁ私がそちらを走るでも見に行くワケでもありませんのでどうでもよろしいことですが。

とにかくそこまで私が「生きている」保証は何もありませんからね。余計な心配でした。

 

さて奥平貞俊による三河の拠点川尻城進出でしたが彼の手腕は確かなものだったのでしょう、城の規模を大きくして近隣清岳という地に亀山城を造営します(場所はこちら)

 

ぱっと見、麓から見上げたときに亀の頭と甲の起伏を連想したのでしょうか「亀山」の名称は各地で耳にします(伊勢亀山丹波亀山またはこちら)。そして下野にもその名の城がありました。

堀尾忠晴が丹波亀山城の天守と違って伊勢亀山城の天守を解体してしまったのも無理はないというか紛らわしいことです。

 

奥平貞俊以降の当家当主を並べると・・・通説、奥平定家と三河にやってきた

 

 奥平貞俊 に始まって

    →貞久→貞昌→貞勝→貞能→信昌→家昌・・・

 

と続きますが定家の「定」が「貞」に変化して通字となり信昌から貞昌の「昌」が通字となった感。以降「昌」が当奥平家では統一されています。奥平氏が歴史メジャー世界に登場し、遠州三河の名だたる戦乱に生き残り尚且つ幕末まで名家として残ったそのベースがこの亀山城だったわけです。

 

とにかくこちら奥平の「貞と昌」の羅列はやはり混乱します。

そのうえ「奥平」の家の繁栄はその当主頭領の弟・叔父たちが分家したうえにそれらを家中に取り込んでいったことによりますので、「その他一統」の存在がありますね。

 

作出亀山城のデータ。

比高20m、東西60m、南北150m。本郭東西27m、南北90m。

画像の通り土塁を廻らし空堀に虎口と十二分に城を満喫できることは請け合います。

城址麓の「つくで道の駅」は休憩と買い食いの場を提供してくれますのでそちらに停車して付近徘徊するのがベストです。