二上山東 一本足で立つ傘堂 落書で知った地名 

今、名古屋は到底落としどころの無さそうな問題に直面していますね。

名古屋城天守閣の再建計画のおはなしはいよいよ進んで工事着手の段。先ごろ天守閣への入場ができなくなったという報がありました。

それに続いて木造新天守の構造に関しての打ち合わせ、有識者による「天守閣部会」にて新天守にエレベーターを設けない方向性を示したとのこと。

そしてそれに対して障がい者団体から反対意見が上がったというものです。

団体ほか障がいを持つ方々たちから抗議文など続出しかなり紛糾しそうな感。

 

「時代はそうなのか」と思わされました。

体育会系の根性主義が個々の人格を重視しつつ人間科学をベースとしたトレーニングに変わったり、各ハラスメントに対する声(Me Too・・・)を強く聞いて行動規範への変化は感じていますがこちらの「エレベーター」に関しては、「えっ・・・」と愕然し、おし黙って考えさせられました。

まさか私にはその発想は思い浮かびませんでしたから。

 

その声が出てくる前は天守閣にエレベーターなど有りえないというのが私の発想。

そもそも歴史的遺構の再建は「史実に忠実」が必然と。

それ以外のものはまったくもって除外されるべきと考えていました。

 

戦国時代以降繁盛した城郭天守(あるいは天主)等建造物配置の考え方は外部からの侵攻を著しく難しく入城すら難儀にするよう作ったものです。

どちらの残存天守もそれは当たり前、再建天守であってもその再建にあたって「史実忠実」以外のこと、余計なもの(エレベーター・トイレ・・・)は不要であるとしてその考慮にさえ入れられなかったものですね。

 

当地近隣にもエレベーター付きの「天守様資料館」はありますがハッキリ言って歴史好きからは「笑いもの」の類です(ネタとしてはEVの有無ではありませんが)。

私もこれまでの名古屋城の一番の難点は「エレベーター」であると断じていましたから。

 

ところが今般の障がい者団体の異議は驚き以外の何物でもありませんでしたがそれを聞いて前述した「時代はそうなのか」となったのでした。

大多数の健常者のうちの意見のみを採用し障がいを抱えた少数の意見を黙殺したと言われても致し方ありませんでした。

 

もはや名古屋という大都市に建てられる城は史実に近づけることは棄てて大多数の人たちがお気軽に行くことができる遊園地的建造物として建てるというのも選択肢に入れなくてはならないのでしょう。

よくお話しあいをされていいところに着地していただきたいと思います。

 

彦根や犬山や越前丸岡城などなどどちらの天守の階段は「殆ど垂直」を思わせるものがあります。たしか丸岡城など上から降りた縄を伝って登り降りできるようになっていました。

それらはどちらも車椅子使用の方については「100%配慮していない」といえますが私に至ってはどう考えてもそれらの施設へのエレベーターの設置は興ざめと思えてなりません。

 

ちなみに私ども本堂はスロープを設置してその対応はしているつもりではありますが、歴史ある建造物にはそういった件、「無配慮」であることは致し方がないことと考えます。

どちらも段差だらけ庭は踏み石と砂利のオンパレードですからね。それを改修することは無理というもの・・・。

排除をするということでなく、また申し訳ないことでありますが他に違う方法を考えていただくしかないのかと。

 

さて、二上山の東側の登城口には「山口神社」があります。

こちらの名称は勝手に「二上山(の登り)口」に決まっていると何も考えませんでしたがあの時、不思議な形状の「御堂」を目にしました(場所はこちら)。

それが何とも滑稽で不思議なカタチ「一本足の堂」なのです。

昔アニメで見た「からかさおばけ」をも思いました。

私如きの所感で恐縮ですが「まったく初めて見る」ものでした。建造物としてはいかにも不安定を思う「一本足」の姿であって「よくもまあこのカタチを・・・」とその選択と製作そして維持されてきたことに感心しなから周囲を見まわしてしまいました。

 

詳細は掲示板参照。

こちらは「傘堂」と呼ばれている堂で延宝二年(1674)にこの地の郡奉行を務めていた吉弘統家(よしひろ のりいえ)が、主君の郡山藩主本多政勝の菩提を弔うために建てたといいます。

吉弘統家の「吉弘氏」は元は大友氏の一族で豊後国東郡に居たことは分っていますが如何にして本多政勝の家臣団に入ったのかは推測の域を出ていないようです。

 

もっと驚いた事はこの健気にも心柱1本だけで立つ堂の各所に落書きがびっしり・・・。無慈悲な人間のバカげた自己表示なのか、ただのイタズラなのかはわかりませんがこの「傘」が何らの反論と拒絶もしないからといってこのような「弱い者イジメ」をするというのはどうも腑に落ちませんね。

勿論刑法犯(器物損壊)文化財保護法違反となりましょうが、その類は何処へ行っても今や珍しいことではありません。

 

どれどれと見渡すと「御所市蛇穴」なる地名と名前と生年月日が一番に目だっていました⑥。

こちらとはそう遠くない場所ですがおかげでその面白そうな地名を知ることができましたね。

「なるほど・・・悪党は蛇の穴からか・・・」などと短絡的納得をしたところでしたがその他色々勘案。

「57歳 昭和8年9月4日生」とお見受けしました。となると1933年生まれの方の57歳ということで1990年に書いたもの ?。

そしてその方の年齢は今・・・85歳 ?。

その方もすでに「歴史」になってしまっているかも・・・。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 24 5月 2018 09:20)

    私もエレベーターはいらないと考えます。
    何のために木造にするのか。
    EVを付けるには構造上からも問題があると思います。
    クレーンのようなものを検討しているとか聴きました。

    健常者が非健常者のことは言えませんが
    何でも同じようにと言うのは無理があると思います。
    アメリカでも大学などへ黒人枠で入学した人の中には、普通に入学する白人より
    劣っている人でも入学できる事になる。そんな意見を聞きました。
    何でも平等、公平とはいきません。
    阿弥陀様ならどうするのでしょうか。キリストならどうするでしょうか。
    聴いてみたいものです。いやいや、そうではなく、自分で考えるものですね。

  • #2

    今井 一光 (木曜日, 24 5月 2018 21:10)

    ありがとうございます。
    しかしクレーンを常設したお城なんて聞いたことがありませんねぇ。
    見栄えが無茶苦茶悪そうです。
    阿弥陀さんなら勿論「ありのまま」なのですが・・・
    そうなれば何も加えないということでしょうし
    問題提起による紛糾も「ありのままに」受け入れよ・・・となります。
    わかりませんね。
    部外者の私ではありますが、個人的には」「エレベーターのある城はありえない」に
    一票を投じます。
    では私が身障者となって車椅子の生活になった場合、きっとそこの所だけは
    諦めると思います。