裏切りで罰が当たった? 柴田勝豊 丸岡城

琵琶湖今浜に秀吉によって建てられた長浜城は「本能寺」のあと、信長家臣団が招集されて「信長その後」について話し合った清州城での会議の結果、柴田勝家(修理亮)の所領となりました。

 勝家は甥の勝豊を城将として長浜城に置きましたが賤ヶ岳の戦い直前に秀吉の調略で叔父を裏切って秀吉方に。

 結果的に勝豊を長浜に配した勝家の人選ミスだったわけですが勝豊はそもそも北の庄城の北を守る出城、丸岡城を築城した人でした。

 丸岡城は現存天守の中で途中破却解体されることも無く焼失も免れ、昭和になってから地震で崩れてこれまでの「国宝」は外されましたが元通り再建されて今、「重文」。

犬山城と並んでその古さを競っていますが、私個人的には戦国風の臭いがして、犬山同様好みのお城の一つです。

市街地の小山に立つコンパクトな平山城です(場所はここ)が城に面した通りには真宗寺院が並んでいることから、かつてのこの地、一向宗門徒の繁栄と攻防を連想いたしました。

 真冬の越前行脚の2日目で、もう一泊この地でと思ったところで携帯電話の受信、2日後のつもりの法要が勘違いで翌日であることが判明し、大慌てで帰宅したことが思い出されます(北国街道大返し)。

 ジンクスですが遠出をするたびに呼び戻されることが相次ぎました。以後なかなか遠征の踏ん切りがつかないですね。

丸岡城は映画「戦国自衛隊」や黒沢監督の「乱」の炎上する末っ子三男の城のモデルとなった城です。

映像的にプロも納得のホンモノの城ですね。

 尚、勝豊は叔父さんの勝家を寝返ってからスグ、賤ヶ岳合戦直前に病を得て京都で28歳で亡くなっています。

死を予感させるような病が当人を襲って、叔父への反逆を決断させたのでしょうか。

 

天守最上階に上るには相当急な階段(というか殆どハシゴに近い)で昇ります。観光客で登城してみたはものの、これより上がるのは諦めるという方も多いでしょうね。

相当危なっかしいことになります。

安全用?のロープにつかまって昇降しますが・・・。