一昨日知らされたばかりで、大いに驚かされました。
古くからお世話になっているお寺のそして私自身よく存じ上げている住職の件。
脳内の血管にできた瘤が破裂寸前に発見されて、現在入院中とのことでした。私よりは10歳近い先輩ですが2月末にお元気なところを拝見したばかりでした。
3月初旬に奥さんとドライブ中、左半身が動かなくなりだしたため、これはマズイとそのまま病院に飛び込んだとの事。
診断は勿論即入院の緊急的な手術だったらしいのですが瘤が大きくなったために脳内の神経を圧迫して、回復が遅れているとのことでした。
当人はショックが大きくてうつ状態ななっているとも。
これからのリハビリが苦難の道となりましょうが、先日記した同じ「瘤」の「復活劇と前向きな姿勢」を聞いたばかりでしたのでここは開き直ってリハビリに励んで欲しいと思ったものです。
考えてみれば
①運転中の発症につき重大事故につながらなかったこと
②大きな瘤とはいえ破裂には至らなかったこと
有意義です。幸運ともいいますね。
ちなみにその話を聞いて私はスグ電話にて今度の人間ドックに脳ドックのオプションを差し込みました。
その際、「殆ど毎日頭痛・・・」と言えば「今スグ来い!!」とのお達しでした・・・。まぁその理由については頸椎の異常であることはだいたい分かっていますので。
たて続けに脳内血流異常の「瘤」の例と重ねて「九死に一生」ともいえるお話を聞かされて「これは私への忠告メッセージである」と勝手に判断したのでした。
出費は嵩みますが「安心代」ということで。
さて、昨日の「愛知郡豊郷町吉田の岡村本家」の「吉田」は古い地名で当然に「良き田」→「吉田」と考えますがそれはどちらの「吉田」であっても同様でしょう。
榛原郡吉田町には大井川、愛知県の吉田といえば城で名だたる吉田は豊川、吉良の吉田にも矢崎川が流れています。
よって美田の存在は大いに推測できるところですが、良き米と良き水が合わされば岡村本家の如く酒造業が発展する事も合点できますね。
その吉田という地には表記、近江佐々木秀義の六男、吉田巌秀(いわひで)が入った吉田城がありました。
佐々木秀義の4人の息子たちで巌秀の兄たちにあたる定綱、経高、盛綱、高綱は源頼朝の挙兵当時から頼朝に従っていたので特に名を馳せました。
六男の吉田巌秀以降室町期まではこの吉田氏が当地を治めていたようですが、信長による蹂躙時期を通して史料遺構とも消滅してその城址たる推定するものと言えば水路と水路を作る石垣程度です。
城址としては岡村本家の広大な敷地付近を推測し、酒蔵入口横の路地③④を南に行った場所に立っています(場所はこちら)。
掲示板の通り岩倉川とともに宇曽川に合流する子増川と合流するデルタ地帯にあってそれらを大堀としながら水路を巡らせて内堀とし要害性を考慮した館だったのでしょう。
当地にもまた本願寺派の正法寺がありましたのでお参りさせていただきました。
京都の豪商のイメージがある角倉了以の御先祖はこちらの吉田が出自。「角倉」は商いで成功した土倉の名称で本来はやはり「吉田」ですね。
やはり近江商人の才覚が開花したということでしょう。
人口の減少があるようで家屋が解体されたあとの石材が各所に並べられています。今は使用される事の無くなった石臼の材が目立ちます。
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