川瀬馬場公民館脇の祠と石塔たち

やはりホントでした。2020大河ドラマが明智光秀の件。

彼は多様な人間と色々な場所に縁のある人ですから各地で盛り上がることでしょう。

 

ここのところ横須賀からみのニュースが立て続けに3件ほど。

横須賀といっても遠州のそれではなく、全国区の方。神奈川県の横須賀です。

私が横浜の金沢区に住んでいた頃と言えば横須賀市には頻繁に通ったものです。

上司に誘われて横須賀市内のソフトボールチームにて遊ばせていただいていたこともありますが市内のショッピングセンターもお目当てでした。

 

天気の良い日は弁当持参で安針塚や海岸に向かったものです。

すると一昨日の「歴史秘話」は三浦按針でしたね。

あの逸見の山を見て懐かしく思いました。

当時のそちらの画像は何台か前のPCとともに消え去っていますので無し。

いずれ再訪したいものだとは思っていてもなかなか横須賀にまでは出向けませんね。

 

そして俄かに次期総理候補として小泉進次郎の名が出てきたというニュースがあり、やはりその横須賀を思い出しましたね。

横須賀という地はその小泉ファミリーの地盤で選挙ときたら毎度毎度の圧勝を見てきました。

対立候補として手を挙げる方も居るようですがこの一統の人気は突出していて、その他はまったく相手にされないような土地柄です。立候補するだけムダだな・・・と思っていました。

 

そしてあと一つが「横須賀市が終活支援」のニュース。

特に市が管理せざるを得なくなった遺骨が増え続けているそうですが墓があるなら前もって本人と結びつけておこうというデータ管理ですね。

独り暮らしで亡くられても行き着くお墓がわからないということへの対応です。

墓地がわかれば必然的に葬儀式手配もできますからね。

まぁ「その時」に伴う色々について生前に決めておくように尻押しをするというサービスです。

 

苦肉の策から発したもののようですが、御時節がらその件是非に必要と思われ自治体主導は「ナイス!」と相槌した次第。

 

さて河瀬の川瀬馬場

だいたい地名として「馬場」なる名称が残っていることに軍事的要塞の存在と武門の集合体、屋敷などの地の由来を推測できますね。

 

川瀬馬場公民館前のスペースには祠が2つ並び、そのお隣に石仏たちが並んでいました。近江特有の風景です。

祠の中には外にあるのと同様の石仏が一つづつ。どのような違いがあってこの二つが優遇されているか不詳です。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (金曜日, 20 4月 2018 10:32)

    菅山原のお酒屋さん、K商店。今ではお酒よりもお茶の葉っぱですけど。
    昔は「ふだんづか」と呼んでいました。
    今は亡き主人に聞いたところ「元は”二つの塚”」だそうです。
    ふたつのつか が ふたつんつか ふだんづか。となったそうです。
    二人の落人が亡くなったお墓があったんだそうです。
    いまではどこだかわからないそうですが。

    石塔でも残っていれば供養できたのにね。

  • #2

    今井 一光 (金曜日, 20 4月 2018 23:50)

    ありがとうございます。
    「二つ塚」がなまって「ふだんづか」。
    いいお話です。
    そして墓となればかなり興味深いものがあります。
    少しでも形跡が残っていればよかったのですが。
    「今も遺っている」ことが如何に珍しいことかを思います。