河瀬と川瀬 妹と井本 河瀬法蔵寺前の空間 

日曜日の天気となるとどうなるかはわかりませんが、昨日土曜日は気温は低めとなりましたが大荒れ予報の如く状況にはならず、とりあえず安心。できれば明日も何とか「大荒れ」は勘弁していただきたいものです。

愛知県の中心の地震は数度に及び、当地も微かに揺れを感じる程度でしたが久し振りにあの独特な不愉快を感じてしまいました。あの件、あの恐怖には絶句です。

 

テレビでは国会で開催されている「どっちが嘘」問答と昨日のシリアへのミサイル攻撃の話題で一杯で、殆ど報道が抑えられているのかと思うあの19歳のお巡りさんの件、やはり当家ではその家族の心情というものに頭が行ってしまいます。

 

8号線から湖東に向かうに目賀田の岩倉川沿いの道を東上しますが、近江鉄道の踏切をまたぎます。

彼はパトカーを乗り捨てたあと、警棒や拳銃を田んぼに投げ捨ててその線路を制服のままで歩いていたとのこと。

気が動転していることがわかります。

事件後に携帯電話で家族と取り乱した様子で話していたという情報もありますが、あの上司のお巡りさんの叱責によって衝動的激昂のスイッチが入ってしまったのでしょうね。

 

鉄砲所有の許可については学校でしっかりと教育されてのことでしょうからそれは致し方ないにしろ、私が違和感があったのは至近距離それも背後から後頭部と背中に1発ずつを撃っていることです。

言葉を選ぶという力量がありませんのでストレートに思ったことを記しますが、その方法はあたかもゲームの如く感じました。

「敵を倒す」のみを目的とした遊戯です。

 

私が子供の頃に見た西部劇などは野蛮で情操教育によくないとよく言われましたがあの中での人間関係からのもつれで「殺し合い」をする場合、まずは面をあわせての真っ向勝負が暗黙の掟です。

背後から撃つ事に関しては特に後ろ指を指される忌避すべき行為であってそれをやらかしたとしたら卑怯者・弱虫の烙印を押されるものでした。

不意打ちに関しては日本においては「奇襲」という言い方となって悪評価はされずむしろ伝統のような戦い方ですのでその社会に育つ者としては無理もないのかも知れませんが・・・。

 

子供達は今何をやっているかといえばゲーム(バーチャル)世界で漠然と「敵」を倒す事。

道理もへったくりもない無感情、不利あるいは都合が悪くなったら「ない」ことにしてしまう(・・・リセット)殺戮ゲームも流行っているようです。

 

まあ中央お役人さま世界は「嘘つきばかり」の醜態を見せつけています。

19歳の公務員が時に前後不覚の激昂に陥ったとしても私たちはそれも許容しなくてはならないのです。

そんな世の中になったのでしょうね。

 

お気の毒としか言いようのないのが教育係だったという井本さんというお巡りさん。

その「井本」さんの苗字を聞いて近江は東近江市の「妹」を連想しました。

滋賀県特有の苗字とは言えませんので何とも言えませんがこの「妹」の地名の読みは「いもと」です。

またワープロ変換でも「いもと」と入れて何度かボードを叩けば「妹」が出てくるはずです。

もともとこれは「いも」読みで現在とは違って女性を意味する語でもありました。

 

その「妹」(場所はこちら)には「井本城」なるあの「鯰江城」繋がりの段丘上の城がありました。

愛知川右岸の河岸段丘は河川と並行して一直線に丘を形成していますが鯰江城はじめ複数の城跡がありますがその愛知川上流側お隣のお城で対鯰江城に織田方が作った付城といいます。

ということで江州佐々木南北諸士帳には登場してきませんね。勿論「井本も妹」も・・・

 

地名として「妹」が先か「井本」が先か勉強不足で私にはわかりませんが大抵は発音「いもと」を聞き馴染んでから文字をあてているように思いますので「どっちが先」は参考程度であまり意味がないような・・・

「かわせ」の場合は苗字の河原﨑→川原崎の変遷がありましたのでもとは「河瀬」がはじめだったとは思います。基本カンタンな方に変わるということ。

 

「いもと」発祥がどなたかの女性への思いなのか、人の命の元である水の源流愛知川近郊の地からの名なのか興味は尽きませんがこの地元には「井本さん」は見られなかったということは付け加えておきましょう。

ちなみに鯰江に鯰江さんはたくさんいらっしゃいましたがこの段丘の上流にかけても鯰江さんの名のりは散見されました。

まぁ「妹」は地名としては珍しき名ではあります。

 

そのように地名・人命の「読み」は同じで字が変化するパターンは珍しくないですね。

それが先日記した「河瀬の川瀬」です。

「目賀田と目加田」もそうですが、元は耳で聞く「カワセ」に「メカタ」などから後になって文字が付いてきたような歴史でしょうからね。

 

法蔵寺の寺領は大きく門前にもかつて子院が4件ほど建っていたそうです。現在の法蔵寺前の「妙境寺跡」の石碑がある駐車場に「上國寺駐車場」と3つの寺の名が登場するという不思議を味わって一瞬間戸惑うことになります。

ちなみにすべて本願寺派(お西)のお寺です。