大野城南の火燈山琴森の稲荷社 二ノ城烽火台を推測

昨晩のテレビ小僧(私の事です)は大林宣彦監督の「最後の講義」の視聴。

心に響くことばが散りばめられていました。

監督の映像の根源的にあるものが「敗戦少年の平和孤児」であるという哲学的ベース(フィロソフィー)、その言葉がいかにも新鮮でした。

 

「キミたちは戦前を生きている」についても同感。

そして、「ゆるキャラはなってはいけない」はイイ表現でした。

表現者たるものは「プラカードは担がない」―プラカードは政治家が掲げるもので自らの制限を含むので表現者にはなれない―ということです。

政治家に「ゆるく」あたって、プラカードを差し上げたらそれこそ政治に関わるということですね。

政治家に緩くではなく硬く冷たくのスタンスが「正気で生きる」姿なのでしょう。

最近はあたかも役者かアイドルの如く、まるでそれらのファンのようになっている人まで散見されますから。

 

私もその意見大賛成。プラカードあげるのは仏法、それも親鸞聖人の阿弥陀仏オンリーです。

 

さて、大野城の南側の大きな山~それを私は「二ノ城」と勝手に名付けていますが~周辺の城郭周辺を思わす地名の各種を昨日の航空画像(黄色い□)で囲みました。

あまりに広い山で取付く場所もわからないまま、歩いたのは街道筋から見える山の裏側。谷あいにあたる場所です(場所はこちら)。

 

この山は昨日も記しましたが烽火台を類推する「火燈山」との名称がありました。またその付近の地名に「琴森」という名があり、琴森稲荷なる社があります。

「琴」なる名を「キラキラ」変更と決めつけて「小戸」が変更前の名かと考えれば少々納得。

なにかの小さな建物があったのでしょうか。

 

場所は「城山」の南側の麓にあたる東陽小学校の南側。

街道側から細い道を上がります。

尾根筋に上がって景色を楽しむという雰囲気の場所ではありませんのでこちらで雰囲気だけでも。

 

気が付くことは先日の天神社もそうでしたが、地元のケアが行き届いていることと赤い差し物が乱立していること。

きっと古くからのファン、スポンサーが多いのでしょうね。