伝説の中将姫かかわり 曼荼羅山當麻院天性寺 

昨日はお二方より「大変な目に合っている」、現在進行形の試練についてお聞きしました。

その不都合な試練とは当流でいう「疫癘」(えきれい→御文)ということになります。

お二人とも膝を交えてお話するのは約1年振りとなりますが、それぞれ昨年半ば過ぎにそれが判明したとのこと。

ともにかなりの体重減量があったようでした。

 

まず一人目の方は糖尿病。

なるほどその病はここやかしこで耳にするもので、決して珍しいとはいえないものの、放置ともなれば命取り、そして何より完全回復は不可能で以後絶対的な自己管理を強いられる病です。

なんともややこしいコントロールが必要ですね。

食事制限と運動のセットですが、その徹底は難しいことこのうえなし。

昨年秋に判明し、食事制限により現状15㎏痩せたそう。まだまだ食事療法と運動は続くと。

 

そして耳を疑ってショックだったお二人目のそれは胆管癌。

昨年秋に判明して手術済み、現在は抗がん剤にて療養中でその副作用で食欲がないとのこと。

比較的「初期だった」ということが私の安堵したところですが、私の浅知識ではその病は他の部位に比べて5年後生存率は低いと認識していますので病名を聞いた時は思わず絶句してしまいました。

ただ早期発見という言葉と手術が成功していることから「栄養を付けて気合入れていきましょう!」と言って別れました。

 

抗がん剤も新しく効果的な薬が出ているといいますので、体に適合し腫瘍が転移再発さえしなければこっちのもの。

副作用は辛いでしょうが、今のさばさばした前向きな様子は私の一瞬の戸惑いを一掃してくれました。

私もいずれかの時にそれら疫癘とのお付き合いを提示されるであろう身ですのでお二方の「それでも笑顔」に励まされた次第です。

 

さて、歴史には史実もあれば伝説、あるいは創作であるというものまで多種多様ですが、はじめから「伝説」と言われているものに「中将姫」のそれがあります。

創建の古い大和當麻寺の蓮糸曼荼羅伝説というものがあってその曼荼羅を織った中将姫は女帝孝謙天皇に仕えたといわれます。以前、折口信夫の『死者の書』をその名につられて購入し「なんだこりゃあ」と思った事がありましたが、その小説はその伝説から発想を得て記されたといいますね。

とにかくとっつきにくくて暗い・・墓の中から始まるので当たり前か・・・お話でした。

 

やはり京都寺町通にある天性寺はその山号と院号から見て大和二上山の當麻寺を思わす名だとわかりますが、16世紀にその寺の僧が今の堀川通の西の曼陀羅町に中将姫の遺徳を偲んで創建したといわれます。

中将姫は「生きたまま浄土」に行ったというのがその主たる畏敬伝承で「彼女が織った」といわれるその曼荼羅のコピーを使用して布教の種にしたといいます。

 

結局はこちらのお寺も秀吉の手によって寺町に移されています(場所はこちら)。アーケードの寺町通より。今の本能寺の近くになります。

この辺りも鴨川のほとりだったといわれますが・・・

④は鴨川越しの比叡山。②は門前の石碑。