61朱雀天皇―62村上天皇 60醍醐天皇の子たち佛陀寺

東京の降雪は大したことがありませんでしたね。

横浜からは「ありがたいこと」と安堵の言葉が。

それにしても東京を中心とした「雪」とそれに関わる色々についての大騒ぎについては雪と寒さの中に住まう人たちからすればさぞかし「お笑い種」でしょうね。

雪などまったく縁遠い南遠州に居て「すわ雪!」ともなれば「危うきに近寄らず」ばりに自宅にへばりついている私が語るというのもおこがましいことですが。

 

昨日はメールで画像が送られてきましたがその青空の下、デジタルの数値を見て、もしや人をからかっているのでは・・・という気持ちで「それってホント?」の如く返信してしまいました。

以前画像を借りた例の交差点からの図ですが、あの寒暖計の数字はどう見ても「-22.8℃」。以前の吹雪の図は「-5.8℃」でしたから尚更です。

やはり送り主の方はその数値はさすがに「寒い」とは仰っていましたがそちらに於いてはほとんど「当たり前」の数値のよう。

ちなみにマイナスも25℃を超えると鼻をつまむとそのまま凍って元に戻らないとも。

一度だけやってみたいと思うのは濡れたタオルを振り回して凍らすことですが。口から出る言葉は「死んじまう・・・」でしょう。

 

車のアラームランプが摂氏3℃で点灯し、稀に外気が氷点下1℃にでもなった時「常軌を逸している」が如く感じてしまう脳内温暖化傾向の私がいました。

 

その環境が「命がけ」ともいえる北海道でもやはりインフルエンザは猛威を振るっているとのこと。ただし全国の蔓延状況から比較すると軽めのよう。寒さだけで語り得ないものがあるワケですね。

まぁ日本どころか世界中、人のいるところはもれなくその感染症に脅かされている中、昨夕「1回飲むだけのインフル新薬が5月発売」とありました。ちょうど今ピークを迎えているといいますからね。

 

日本の技術も大したものです。これも「ホントに効くの?」と疑いの目で見てしまいますが、その実力を期待しましょう。

ホントは今のシーズンに間に合えば上出来だったのですが・・・

 

さて、子供が夭折すると親と言う者は次の子供が若死にしないよう多様な試みを策します。

当時となれば呪術師の指図が主たる参考意見、それは科学的根拠などは絶対皆無といった時代ですからね。

要は「怨霊」の仕業と解します。

では皇太子の連続夭逝によって次代の皇太子の養育に母たる皇后がとった行動は・・・三歳になるまで几帳(きちょう)という間仕切りを何重にも張ってその中で生活させたという箱入り息子振り。

八歳で父親の醍醐天皇が亡くなって即位しています。

いわゆる摂関政治で若い頃からお飾り人形のようで今でいう「ほいほい」されるような環境(当たり前か・・・)であったことでしょうが一番に不遇を感じるのがその時代の状況。

 

さきの民主党の不遇といえば震災と原発の爆発にあったといいますが、政権時代の天変地異人災の発生というものは当人としてはどうにもならないだけに少々気の毒な事ではありました。

上手く行くワケがないですからね。

 

朱雀天皇のその時代はまさに荒れた都、荒れた地方の時代でしたね。洛中には「群盗横行」があって地方では承平・天慶の乱と不安増長の時。富士山だって噴火しちゃいました。

何とかそれらも解消に至っても子供に恵まれないことから二十四歳で弟の村上天皇に譲位して三十歳で逝去しています。

 

その朱雀-村上兄弟天皇の勅願寺、元は父の醍醐天皇を弔うために朱雀天皇が朱雀院なる仏道勤修の場を建て、朱雀天皇逝去後に村上天皇が朱雀天皇の法諱「佛陀寿」からとって「佛陀寺」としたとのこと。元は朱雀大路にあったようですが応仁文明の乱で荒廃したのち秀吉による例の強制集合によってこの寺町通に移っています。先日記した蘆山寺と同じ通りになりますが今出川通をまたいで北になります(場所はこちら)。

場所柄天皇家の菩提寺、勅願寺が集まる場所です。

定朝様式の阿弥陀さんがいらっしゃると聞きますが、通常拝観はできません。