光秀も見たか「老いの坂」の道標 京都国立と現在 

大河ドラマはもはや異次元の世界に飛び立っていきました・・・。

奥方からは「だから、ドラマだっつうの!!」と窘められて苦笑い。ドラマの進行については語ることなし。

ちなみに来週のタイトルが「本能寺が変」ですから。

既に遊びモードに入っていますね。

 

さて、京都国立博物館の庭園展示エリア

そちらにそれぞれ無関係に展示されている中、1本さりげなく建てられている石標が「従是東山城国」(上記画像①②)です。

読み方を違えるとこの博物館がある地が「東山」の麓ですので、その先入観があると・・・ワケがわからなくなります。

「これより東 山城の国」の標で、かつて洛西は山陰道の国境(西方は丹波亀山となります)に建てられていたものです。

案内板には「老いの坂峠」とありますね。

 

「老いの坂」というと私は「異次元の世界」を思いますがそのイメージは熊野観心十界曼荼羅(こちらも)からですね。

その名を示す山道は他所でも聞きますがこちらは別名「大江坂」。

当然に丹波と京の峠筋となりますので京都への進入あるいは京都からの脱出経路にあたるため古来から要衝として警護がなされたり通行銭を徴収する関が置かれた場所です。

 

その現在の「老いの坂」が③以下の図。

電信柱の「篠」は亀岡市の地名ですが「ブッシャリ」は・・・何か意味深。

 

天正十年(1582)の雨の中?(「ときは今 雨がしたしる 五月かな」)、亀岡を出立した明智光秀がこの老ノ坂を東に下って本能寺を急襲したのでした。⑦⑧が現在の老いの坂に建つ道標。

 

この道を通過する車、そして散策する人であってもほとんど無し。山陰道国道9号線が近くに走っていますし、峠の真下には京都縦貫自動車道が走っています。

その時は私は一時間弱ですがこの辺りをブラつきましたが人っ子一人すれ違うことはありませんでした(場所はこちら)。