三河は参州とも 手紙文脇附「参」を大河ドラマで

寒い寒いとギャアすか騒いでいた割にここのところ数日は温かくすごしやすいお天気。いい気になっていれば週半ばあたりからは本格的な冬になるとのこと。このちょっとた余裕は儚くも吹っ飛んでしまうのですね。

自然はまったく気まぐれ。

 

鎌田政清の五輪塔の説明書きに天竜川以西を長田氏、以東を鎌田氏が知行と記してありました。天竜という大河川をもって領地境界としていたのですね。

そして、蒲御厨の件天竜川の流れの変遷について

「初め天竜川は池田庄の東を流れたが、南北朝時代には池田庄の西、蒲御厨の東を流れて現在に至っている。御厨は大きく東方・西方に分かれており・・・」とありましたがこれも壮大な自然の気まぐれであって、そちらに住まわれた皆さんの苦労が思い浮かびます。松下の頭陀寺周辺も水害との闘いがあったことは優に推測できます。

 

天竜川の筋替えは南北朝時代といいますので長田氏はすでに頼朝によって滅ぼされ(美濃尾張 身の終わり)ていますので、義朝と鎌田を斬ったのがこの領地減少が理由だったなどとは言えませんが実際に当事者であれば困惑するでしょうね。

天竜川流域は結構に源氏平氏が入り乱れて面白い場所でした。

 

そういえば源範頼にはその生まれ故郷にちなんでの「蒲殿」とは別に呼ばれた名に「参州」があります。これは三河守を任ぜられたことからですが、まぁ公式な呼び名としてはコレが正解でしょうね。

 

大河ドラマでは視聴者重視、呼び名に関しては教科書記述の如くストレートに(織田様、徳川様、今川様から石川様に本多様、酒井様・・・)わかりやすく苗字で統一していましたが実際は違っていたはずです。「織田様」などと言っていることが耳に入れば殺されますね。それではなくて上総介さま・右大将・右府ですね。信長の如く次々に官位昇進する人の配下は大変でした。

今現在の官位で呼ばなくてはね。他の人たちも呼び名は最新の官位呼びが当たり前。本名を他人(目下の者)が呼ぶことは「いまわしい」ということから「諱」(いみな)といいました。

大河では当初小野政次を「但馬」とも呼んでいましたね。

 

参州といえば先日、岡崎、安城、刈谷、蒲郡からの御門徒が拙寺に集まりました。

三河門徒と呼ばれる真宗寺院に属する方々。

たまたまそれら流れの方が相良に定住されてこのほどの法要を依頼されたのでした。

その辺りの事情はうかがっていましたので「これは耳が超えた」チャキチャキの御門徒衆が来られるということで、勉強させていただくつもりで「色々聞いてやろう」と待ち構えていました。

 

法要後に本堂にて歓談。

すると「阿弥陀経をあげてくれてありがとう」と。

聞けば今「正信偈だけ」のお寺も多いそう。

それも「そのお寺のやり方でしょう」と頷いていると「やはり正信偈だけではなくお経様がないとね」と。

続けざまに「私は朝だけだけど阿弥陀経を(御内佛に)あげてるよ」と。驚きました。正信偈ではなく阿弥陀経とは・・・これは先達にお経もイイよ、と言われてから習慣にしているとのこと。

 

私は正信偈は様子を見て「普通と早読み」、お経は「普通、早読み、スーパー早読み」で対応していますが、その日は初見参ということで「普通と普通」でした。

三河のお寺では両方とも「早い」傾向とのことで今回はよく聞き取れてよかったとのご感想。

 

昔父は私が「お経さま間違えたらどうしよう・・・」と問いた時「わかりゃしない」と気休めを言っていましたが、三河でのそれは通用しないということがわかりました。

そして最後に一言。

坊さんはしばしば独りよがりになって経典をさっと拝読したあと「どうだ、やったぞ」という感じを受け取れるが、私たちは「しっかり聞き取りたい」。よって大きい声で活舌よく早口にならず発声していただきたいものだ」と。

 

そういう声が聞こえてくる三河の地、家康が苦労した地盤というものが450年経ってもひしひしと伝わってきます。

三河の真宗寺院は大変ですね。目と耳が肥えています。

比較対象がありすぎて坊さんと寺の評価の目が厳しいということも。

 

先週の大河ドラマは「高天神」の名がタイトルに記されていましたのでビデオに収めてあとからゆっくりと視聴。

まぁ周辺固有の城の名(小山城・滝堺城・田中城)は台詞として出てきました。殆どが語り演出でおしまいというのは致し方なし。ケチをつけるとすれば高天神城(馬場平画像③)あたりから南を見た画で中村砦と三井山が紹介されていましたが、中村砦については画像の矢印よりも実際はもっと海側だと思います・・・まぁその辺りは雰囲気でOKですし、これこそ父親ではありませんが「わかりゃしない」ことかも知れません。

 

画像キャプチャは直虎が受け取った手紙のシーン。

あの脇附「参」字(まいる)が光っていました。

字も崩れず見やすくわかりやすい、視聴者がわからなくては意味がないですからね。

坊さんの読経もわかりやすくハッキリ、時として「どうでもイイからちゃちゃっと頼む」の声に慣れさせられてしまっている私がいました。

①はドラマのポイントとなった井戸。②が二の曲輪。