邪道といわれようがどうってことなし 平太郎がイイ

昨日は好天に恵まれて境内報恩講準備が捗りました。

「前日に雨が降らないのが一番いいね」と私が開き直って呟いたのは「11日の午前は雨」は殆ど確実といわれているからでした。しかし皆さんは楽観的で8時にはあがるだの9時前にはあがるだの言ってお帰りになりました。

私は「前線通過」の怖さを知らされるのは「おいらだけ」と思いつつ、皆さんが帰ったあとロープを持ち出して木に結びましたが、突風はテントそのものをバラバラにしてしまうのでホントはフレームのみでテントは張らずに「前線をやりすごしてから当日の朝に張る」というのがベストなのですが。

昨日の晴れに騙されて(私は騙されたフリをして)「えいやぁ」で流れに任せて「勝負」してしまいました。

大した風にならないことを望みます。

 

さて、お内陣の荘厳についての色々は奥方さまの仕事ですので関知いたしませんが、御絵伝掛けは私の仕事。

御絵伝といえば拙寺ではずっと長い間、というかどちらのお寺でも当たり前のように「余間」(蓮如さん側)に掛けていました。通常時の「七高僧」と「聖徳太子」の御軸を余間側面に掛け替えてからその4軸を掛けたものです。

 

しかしこの数年はその伝統はヤメにしました。

「オイオイそれ邪道じゃね?」という声が聞こえてきそうですが勿論私が決めた事で何を言われようが「どうぞ・・・」てな感じ。

前面にブラ下げています。

これにより、参拝者の感動が伝わってくるのです。

「へ~え」ってね。余間に掛けていたら一体何が記されているかわからないというのが異口同音。

 

先日は夜間のお取越しで御伝鈔のさわり、下巻の六段を早読みで披露しました。そしてその前「五段」に記された「平太郎」について紹介しました。

先日ブログで拙寺本堂の扁額を記しましたが、寄贈者小山平兵衛家の現当主が平太郎氏。その方が同席していたからです。

下巻第五段は「熊野霊告」というタイトルがついていますがその段にはなんと「平太郎」の名が三度も出てきます。

きっと門徒ちゃきちゃきの祖父母さまが御伝鈔からとって命名したと勝手に信じています。

 

まぁ私にとってその「平太郎」のあのリラックス度が何とも好きでたまらないですね。

ちなみに②あの場所は熊野本宮主殿の証誠殿です。

朱色の建築物と狛犬のような対のもので神社であることがわかります。

 

その前面の建物でひっくり返って居眠りをしているがの如くの平太郎の躰、まさに一向専念無量寿仏。

私も神社に立ち寄ることがありますが、各作法は存じ上げませんし、私にとってはどうでもいいこと。

手を合わせて一言「南無阿弥陀仏」です。

 

黒いネコは報恩講恒例。なぜかこの時にはつきものです。

というか小さいのは既に住みついていますが。