大澤寺本堂扁額のウラを覗く 小山平兵衛

毎日曜日を狙っているが如くの台風襲来にもはや「勝手にどうぞ」と開き直っています。

こうなったらもう一回「上陸してみろ」と放言したくなりましたね。まぁ殆どの植木鉢は室内に収めてしまっていることと静岡という地はほどほど台風に耐力があるということは分っていますので。

勿論、法事を控えています・・・。小ずるい事を記せば「午前中は控えめにお願いします」という気持ち。

 

台風の速度は北上に従ってぐっと早くなりますが、季節のうつろいも秋となるとそのあとはあっという間。既に11月の声を聞きますので今年もあとほんの僅かという感じです。

私どもは東京の叔母がかつて居た住まいのあと片付けに傾注していますが、今、奥方に赦しを乞うている台詞は「運慶展に行かせて」です。11月26日の最終日までまだ余裕がありますが、これから11月一週までは東京圏に近づきたくない事情が発生しています。

 

世に「なんとかファースト」を流行らした米国のトランプが来るとのこと。お頭の弱そうな人たちがしきりにその「ファースト」なる語を真似て使用していましたが、今度は中国までが「中国一番」を標榜しだして呆れ果てています。嫌な時代になりました。

ということで都内は検問の嵐で車両での進入は諦めた方が得策。折角の台風一過の晴れ間?が台無しです。

まったくくさくささせられる行事で、あの方に尻尾を振り振りする輩も道化に見えて仕方がありません。

 

27日のアメリカCNNのニュースで報じられていました。

大統領選にロシアが介入した疑惑を捜査する特別検察官が、最初の容疑者を訴追、連邦大陪審に受理された。容疑者は明らかにされていないが、早ければ30日にも拘束される可能性がある」

 

彼の側近が逮捕されることを示唆しているようでもありますが、そうともなればトランプも無事ではいられないでしょう。

また罵詈雑言を浴びせる姿が思い起こせますが「壮大な不正義・・・・インチキ大統領選挙」というウラの部分が明らかにされるかも知れません。まぁ白黒ハッキリさせることも有意義、すべてが納得できる権威(連邦大陪審)ですからね。

できれば大統領殿には日本に来ないでいただいて私のちょっとばかりの願い、秋の穏やかな上野の散策を実現したいものです。

 

さて、「ウラ」と言えば拙寺本堂正面に掛かる「釘浦山」山号を記す扁額の裏側についてまだ記したことがありませんでしたので紹介させてください。

以前から歴史用語「有徳人」を好んで使用していますが、相良本通りには小山家一統の各店舗があります。

どちらも大店で、拙寺が他のお寺さん方に羨望の目で見られているような事も聞いたことがありました。

 

まぁ本通りが家康が鷹狩陣場として開発の手を入れた頃、数件ほどの家があるばかりのところに家康の命によってこの寺が相良大沢村から本通りに降りてきたことから始まっていますので本通りと拙寺の関りは深いものがあります。

そして当初から初代の故郷近江とのパイプから近江商人の定住があったのだと思います。

 

その小山一統の本家にあたるのが大平薬局(現在は大沢に店舗)で大澤寺婦人部を半世紀近く引っ張っていただいた小山千代さんの家。平成26年に95歳で亡くなりましたが私の小僧の頃からこの間まで「若さま」と言って「よいしょ」していただいた事が忘れられません。

 

その千代さんが中興したという薬舗「大平」の名は「大坂屋平兵衛」を祖といいますが、当家過去帳に見る最初の大坂屋の名のりは「大坂屋吉兵衛」で没年は安永四(1775)でした。

吉兵衛は国元に帰って没しているといいますので、相良にて骨をうずめるべくの一所懸命は子の(おそらく)「平兵衛」~天明三(1783)没~からでしょう。

 

以後大坂屋の名のりは「平兵衛」がスティックされていたようで、小山家の通字は「平」。その名の変化はありますが、現社長の名は「平太郎」氏でした。

ちなみに大坂屋弥平の倅に万作という人が居ますがその万作の嫁が拙寺10代目の今井祐賢の娘です。

寺が大店と関わる事は昔からあることでした。

 

それでは明治二十五年南條文雄扁額について。

拙寺12代目祐闡の時、寄進者は小山平兵衛、彫刻矢部宗普でした。

 

未確認ですが矢部家といえば拙寺本堂建立の棟梁伊藤平左衛門が三州牛窪からやってきて大江の矢部某に婿入りした旨を伝え聞いていますのでその系統の「矢部」でしょうね。

別の本堂の上棟板には「平田村住矢部宗右衛門・庄右衛門」の名がありました。

 

南條文雄とのパイプも推察される小山平兵衛による差配があの扁額になったのでした。125年もあちらにぶら下がっているということもおそれいります。