バイパス静岡行脚 片桐且元夫妻墓再訪 丸子誓願寺 

台風コース予測はドンピシャでした。

ピシャリと当たったのは「まさか私の頭の上を・・・」というところです。

午前3時に上陸と言いますので私は爆睡時間帯。

おそらく本堂が吹っ飛んだとしても朝まで気が付かなかったかと。

朝方からお見舞いのメールや電話をいただきましたが、あれだけの勢力(上陸時は950hPaまで落ちていたか・・・)を保ったままデカイ雲の塊を引き連れてやってきて、まっく無傷でいられたということはまたも奇特な事。

おかげさまで有り難くも朝の陽光の下、境内掃き掃除をさせていただきました。

各地悲痛の状況を目の当たりにして、恐れ入るばかりの台風一過でした。

 

当地では各所区民会館等で避難所の開設があったようですが、開けたからには責任者が詰めなくてはなりませんね。

この避難所の開設はてっきり市の方針かと思いきや、実は各区レベルでの判断だといいます。それもすべてボランティア。

よって区によってその判断は分かれます。ちなみに波津区は無かったとのこと。

避難所を開設にあたって民生委員が中心になって特に独り暮らしの年配者に声かけしているとのことですが、ボランティアの方は自身も朝まで過ごすための「あれこれ」を持参して会館に入るそうです。まったく頭の下がる思いがします。

 

私が爆睡している間の「ドタバタ」を耳にしましたがまさに「異次元」のご苦労があったようです。出したお菓子類を平らげたおじいさんに水洗トイレにオムツ系の吸収剤を落としてトイレを詰まらしたお婆さん、嵐の中に送迎した自家用車に異臭が籠った件等々、聞いていれば爆笑ではありますが、地域安心のためとはいえなかなかその献身は真似できるものではありませんね。

 

本日は大昔に撮った画像をあらためて。

最近は静岡方面に行くに東名高速は滅多に使用しません。

高速代をケチって150号線をそのまま東進するか、金谷まで出て1号バイパスを使うかですね。

ただし1号バイパスは突如として渋滞が発生したりトンネルが多すぎておっかない・・・対向車がビュービュー走っていますが、一昔前にトンネル通過中に対向車に向かって投石する輩がいたことから通過時にはそのことが必ず脳裏に思い浮かびます・・・

 

そのバイパスを使用し、静岡市内に入る頃、左手にあるのが丸子城。そしてその手前の誓願寺の辺りは年間でも10回以上は通過するのですが、そちらには「最近御無沙汰しちゃって~」と思うお墓がありました。

賤ケ岳七本槍一人、片桐且元です。

片桐且元の墓は以前記した際は、テキトーに撮ってきた写真をアップしていたものでいつかは撮り直ししたいものと考えていましたので、久々誓願寺を散策を兼ねて寄ってみました。

 

我が家では片桐且元といえば当奥方に言わせれば「小林稔侍だろ」(大河ドラマ「葵 三代」)と間髪を入れず返ってくるくらいの親しみのある戦国武将です。

本願寺との付き合いもあったようですし何よりも静岡に墓があることもその思いは重なっていきますね。

 

ということで誓願寺撮り直し。墓石は卵塔形式。

裏に回り込むも判読不可。

法名「顕孝院殿東市令三英宗元居士」

画像最後の3つが丸子城の丘陵。