袋井市の「歴史への取り組み」に敬服 馬伏塚城

東京都知事女史殿、おもろい事やるなぁ・・・と感心していれば「やっぱそんなもんか・・・」と思ったのがあの「さらさらない」の言。

解体野党のすべての受け入れはなく「拒絶する」という宣言なのでしょうが、言葉を選ぶということができない人だなぁ・・・との印象。もっと違う言い方ってあるでしょ・・・

まぁ私は、またここに「ゴリアテを見た」ような気になりましたが、あのひょっとして「増長してる?」と思わせる言葉によってかなり票は減ったかもしれません。

 

政治家がゴリアテ化する様子は多々見ていますが、その増長を見てひねくれものの私はそういう方には「天道おそろしき次第」を味わっていただくのも面白いと思ったところ。

ゴリアテのいく末と「天道」は決まっているといいます・・・。

 

都知事選立候補の際、あの「二重国籍」の件で引きづり降ろされた一方の女史の知事選立候補について戦々恐々としていた顔がまだ忘れられません。変わるに変わったものです。

タラレバですが、その人にあの時知事選立候補を真っ先に宣言されていたらあのタイミングでは逆に現知事の立候補は無かったかもしれませんね。そしてあの党の崩落も。

まったく「流れ」とかタイミングというものの重要性がよくわかります。あの世界、人の世界つくづく面白い。

 

「さらさら否定語」の「さらさら」は通常喧嘩腰の常套句。

まして聞いていて第三者をも不愉快にすること大ですね。

まともな社会人はそんな言葉はまず使いません。仮面をかぶっているところのボロが出てしまったのでしょうか。

「私はいろいろ不寛容です」の姿を公言しているようで、薄気味の悪さも感じます。

撤回して名をシンプル曖昧に変えていましたが以前子飼いの男どもが吹いていた「ジャパンファースト」の名が思い浮かびます。

 

それにしても公約と言われる「原発停止」には食指が動きますね・・・ウソかホントか。

増税はたまったものではありませんが私たちの切実はそれ一大事。

オリンピック開催など私には「さらに、さらに」関係ないことです。

 

さて、袋井市の歴史文化への取り組みのすばらしさについてあらためて感服いたしました。

私の勝手な評価ですが、城址パンフレットが二つ増えていました。馬伏塚城と久能城のカラー刷りパンフでコストもかなりかかっていそう。結構インパクトありますね。

 

以前馬伏塚城(こちらも)址から直近の袋井支所をブラついて数年が経過していましたのでその時は目につきませんでした。

これら紹介リーフレットがいつ頃からあるのかはわかりませんが、外から来た人にも、市民にもその歴史を知ってもらうためにこういった告知媒体を持つということはいいことですね。

私もつい手に取っていました。

 

こういう時、当牧之原市ならどうだろう・・・と考えてしまいますが、一言でこういうものは見当たりませんね。

牧之原市にも羅列するのも面倒ですから割愛しますが、ざっと7~8の城址(それ以上かも)があります。

何も一つづつ作成する必要はありませんが、一つにまとめてでも城址とそれに関わる寺社などを紹介するパンフはあってもいいと思うところです。

またしても「お金がない」の語が返ってきそうですが。

「予算無し」の自治体は辛いですね。それでは何もできやしません。ヤル気とやり方次第では歴史遺産は十分に観光資源となるはずです。

 

もう一言言わせていただければ、「陣台山」の高台は最近ついに命山(津波避難地)と改修されましたが、その名の通り、私は武田海軍の砦を推測できる場所と考えていました。

改修にあたって発掘調査の話はまったく耳にしていませんし

最初から「何もない」という判定がまかり通っていたような気もしないではありませんでした。

まあ相良の歴史通においてその辺りの件は「眼中にない」という傾向が強い(田沼オンリー郷土愛)のでそれが仇になっているとしたら寂しいことです。

 

もしそこから「何か」出ていたら「古相良砦(城)」の確信を得られたかも知れませんでした。そうするとこの件は自らの手でそれを壊してしまったことになります。勿体ない・・・。

私の勝手な思いでした。

 

②画像以下はすべて馬伏塚城。

二郭といわれるうち「城郭大系」と現在の案内では本丸推定地が違うのが面白いところですが、私はこの城の古地図にある「深田」という語にこの城の防御性を見ました。

社のある方の郭(そもそも不詳の城址でどちらが主郭かはどうでもイイところ)南側に「羽城」の語がまた併記されていました。

 

城はのちに破却されたためその「破」が転化して「羽」になったといいますが、「羽」ってそもそもこの地の地名「浅羽」の「羽」でもあるわけでして・・・。

すると「深田」と「浅羽」の「深い-浅い」の対比もありますが、「羽」(「ば」発音)は「場」だったかも・・・と思ったのでした。地元でも何の関わりもない私のタダの思い付きです。

 

昨日は周辺「浅」の字が使われる地名多し(浅羽・浅名・浅岡)と記しましたが「浅」は「深田」に対する「浅い-深い」?。

そしてそのパンフにもありましたが「羽城」には船着き場があったといいますので「船場の城」・・・そこから「船」がとれて「場城」から転化。

ということで「羽城」は「浅羽」の「羽」と同様「ば」発音ということで「ばじょう」。「浅羽」の語源は「浅い場所」の意?などなど。

そんなこんなで色々頭をめぐらした次第です。

 

②画像でも今の土地がぬかるんでいる様子がわかります。

⑥神社の上から平地を撮影しましたが、高さに関してはまっく優位性を感じない城。

当時は水路と「深田」に囲まれ、外部から見れば水に浮かんだよう見える馬伏塚城だったのではないでしょうか。