滄桑之変 そらごとたわごと まことあることなきに

あの嫌がらせの如く進路を変更して週末を襲うという面倒くさい台風にはまったくうんざりです。

相良の祭礼にあたるようですが・・・。

当初の予想では大陸へそのまま行ってしまうような感じでしたので。

私としては秋晴れの清々しい空気を期待していましたので残念でもあります。

 

3連休のうちの土曜日に法事が入っていますが何とか軽めでお願いしたいところ(墓参りは「天気がイイ」の件はこちら)。

まあ各「天変」によって艱難辛苦を味わう方々が溢れかえるようにある昨今、私だけが「無事でいたい」という主張は憚られるワケではありますが、それは一個人としての本能的なものとご容赦いただきたいものです。

「大陸に行っちゃえ」なんていうのもいささか「放言」の部類でしたが。

 

しかしながら常々思うことは人間世界の「無常」。毎度のフリでごめんなさい。

天地激変の環境もあいまって「受けがたき人身」であっても一旦病を得て、寿命尽きれば死する他はありません。

そのことはやはり落語の「死神」のローソクを思い起こしますね。

 

寺に住すという「業」(ゴウ)を務めるという「業務」からは色々なそれ(無常)を私どもに体験させていただいていますが、周囲の変化というものは勿論、私自身のそれにも驚かされます。

自身発生する各不具合は当然のことですね。

 

表記「滄桑之変」とは激変する無常を言う四文字熟語。

出典は西暦300年前後の中国道教思想の仙女「麻姑」から。

ちなみに昨日「痒いところに手が・・・」と記しましたがそれの解法として「孫の手」の使用があります。その「麻姑」(まこ まご)が元ネタのよう。麻姑の爪がやたらと長かったというところからです。

 

「滄桑」(そうそう)は「滄」から「桑」への変化の事。

「蒼い海」→「桑畑」へと変わってしまうかの如くの激変を言います。

上記『墓参りは「天気がイイ」』で記しましたが「ちょっと昔まで墓場の原野」がビル群に一変することですね。

この地区では1年2年で茶畑が「放置林」になっていることは日常茶飯事。まぁそんなところなのですが「人生」のそれを思うとやはりますます考えさせられます。

 

先般お会いしたばかりの方が最近不調を訴えて検診に行ったそう。医師より癌の告知をされていたとのこと。その方の親族にお聞きしました。

人は青年期を越せばあとは「老」と「病」まっしぐら。

 

尚私の体調、おかげさまで昨日より断然よくなりました。

朦朧としていた頭の具合がとれました。

昨日晩に帰宅した奥方はそれでも「ただの風邪だろ 寝とけ」とのこと。それだったらまた有難い。

 

そらごとたわごと   まことあることなきに(ただ念仏のみぞまことにておわします)」はご存知歎異抄から。

 

①「麻姑」は長寿の象徴ですが、現代はまさに長寿社会。

しかし病気と同様認知症は怖いですね。その病によってどれだけ性格が変化するかを記したグラフ。

②先日亡くなった東京の叔母の部屋から出てきたエンディングノート。肝心なところは何も記されていませんでした。