溝江の西郷局生誕地と石ケ谷 地元石田の名も

昨晩のNHK「沖縄と核」視聴しました。

沖縄が今の日本本土の捨て石の如くの扱いにあることは承知していますが、まさかあの伊江島が核兵器訓練の射爆場となっていたとは・・・かなり驚きました。

誤爆によって伊江島島民が亡くなっていることも・・・そういうことで冷戦時代の沖縄が「核兵器のデパート」と思われるほどの供給基地にもなっていたようです。

 

それにしても公開された小坂某とかいう外務大臣のアメリカ側との折衝記録を見ているとクサクサきました。

要は核基地をつくるなら「事前に発表しないでこっそりやってほしい」(世論がうるさい)ですからね。

ロクでもない政治屋さんがいたものです。佐藤―Nixonの各密約というのもありましたが沖縄の人たちにはあらためて気の毒な話を蒸し返しました。

 

そんなに必要なら原発と同様、東京に配備すればいいのに・・・と単純に思ってしまいます。

まぁそんなウラ話がここへ来て出て来るだけ少しはマシなのでしょうが、そういう話は米国の公開資料が元ですから、そもそも日本からは永久的に表に出てこなかった話で・・・それが「あったことを無かったことにして隠す」という傾向、政治家オンリー国民不参加型、二流国家と言われる由縁です。

 

かつて私は核弾薬庫のあった嘉手納は勿論、伊江島でもよく遊びました。

本島西海岸から東シナ海を望めばあの独特な山(伊江島タッチュー)が目に入ります。本島直近では「美ら海水族館」の向かい側。沖縄の方たちには失礼ながら伊江島には楽しい思い出しかありません。

 

水納島というパンのクロワッサンの形の小さな海水浴場のある島がありましたが、大阪の大層なお金持ちT氏のクルーザーのクルーとして同乗させてもらった際、水納島で降ろしたカワサキの550というジェットスキー(T氏所有)で伊江島まで渡ったことがあります。

地図上で見ても実際にもスグ目の前に見えますので結構近く感じますが、実際は相当時間がかかった思いがします(6km程度)。

湖とは違いますからね。外洋同等の波と流れを感じました。

 

そもそもあのジェットスキーは信頼性はないですね。

転倒すれば(550はスタンド式)キャブレターにビルジという溜水が入り込んでエンストするか何よりもオーバーヒートが怖かったです。

あの海域はサメがいるということも聞いていましたので・・・。

無茶しました。

 

どうしても沖縄というと私の楽しかった思い出ばかり、その頃は沖縄の人たちの気持ちへの理解度が低かったことは違いないところ。

 

さて、掛川の「西郷」周辺についてここのところ記していますが、西郷の西郷たる中心、溝江の西郷の局(宝台院)の生誕地といわれる地。

局は局でも掛川城から見て西郷郵便局の先に①の看板が右側に立っていますで「伊奈治療院」(お隣の「鎌江公民館」)を目標に西方向に折れればスグです。

 

美人ケ谷城から見て掛川よりとなりますが滝ノ谷城のところで記したこの辺りの城郭大系からの記述、

「政清の住したという九個の巨石が残る石谷の里、あるいは石谷氏三代の霊を祀る霊栄大明神のある構江(かまえ)など、石谷氏屋敷跡と伝える地もあるが、これを立証する史料や遺構はみあたらない」の「構江(かまえ)」という場所になります。

 

その字面からして城館風遺構の存在を推するところです。後ろから2枚目の看板の寄贈者にブログコメントを寄せて頂いている野村氏の仰るよう「石田さん」二名の名が見えます。

上記霊栄大明神の神官の系でもあるよう

 

石ケ谷氏の家紋「九曜紋」の意が九つの巨石を称していることからその石とはどこぞ・・・と考えるところですが・・・

まぁそういうものは往々に直近のデカイ城に使用されていると考えるのがスジかも知れません。

一豊あたりが運び出したか・・・

画像はかなり前のいつかの正月他に出向いた時のものです

(場所はこちら)。詳細画像で。

周辺に石田姓が目に付きます。当時の相良呉服屋野村家がこちらの名家と思われる石田家から嫁を嫁がせたということは私の知り得ぬ世界でした。

 

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コメント: 6
  • #1

    カネショウ野村呉服店 (月曜日, 11 9月 2017 00:44)

    野村と石田は正式には姻戚にはなってないのであります。。事情は今となってはわからないです。

    名字石もしっかり存在するそうですが今は木や草が生い茂りわかりにくくなってるそうです。ちなみに石田氏の家紋も石谷氏と同じく九曜紋。

    霊栄神社は計7人を祀っているそうで、そのうち3人は隠居後に祭祀料を届ける名目に西郷の地へ来て亡くなってるそうです。その3人(榮清、眞清、澄清)は観音寺の石田氏墓所へ埋葬されているそうです。江戸時代の石谷氏の菩提寺は狛江の泉龍寺ですが、この3人については泉龍寺に墓が無いという事になりますね。

  • #2

    今井 一光 (月曜日, 11 9月 2017 07:58)

    ありがとうございます。
    「名字石もしっかり存在する」の件、掛川市教育委員会等の
    お墨付きが欲しいモノですが・・・地元の歴史に繋がる好材料ですので
    草で隠れているのでは寂しいことです。

  • #3

    くりくり (月曜日, 11 9月 2017 09:22)

    久しぶりにブログに訪問しました。
    掛川の詳しい紀行文が投稿されており、興味深く読みました
    「遠江36人衆」については近年知った言葉、中世地元の武士については今までほとんど何も知らなかったなと感じています。最近は、中央の勇ましい戦国物語から、地元の文書を読み解いて人物や活躍を知る雰囲気が強くなっているように思います。
    ところで「美人ケ谷」なんて良い地名と思うのですが、反対に鬼女などの地名は凄まじいなと思うのですね。

  • #4

    野村 (月曜日, 11 9月 2017 09:29)

    地元の歴史に興味のある人たちが少ないので、遺構の手入れなど金と手間のムダなのでしょうね。金を産む遺構はまた別の話なのでしょう。今熱心に歴史探究されてる方々(高齢の方が多い?)が不在となれば、さらに草に覆われるのでしょうね。若手で私のように家系調べが好きだったり歴史好きなどといえば奇異な目で見られます。
    興味のない人間からすれば、歴史なんて本当かどうかなんてわからないじゃんと一蹴されますね。

    声高に歴史上の誰それの末裔だ!と言う人は胡散臭さを感じます。

    先ごろに完成させた私の家の家系図の初代にあたる人物も墓石に彫られる1行のみしか情報がありませんので、推測の但し書きですね。


  • #5

    今井 一光 (月曜日, 11 9月 2017 11:28)

    くりくりさんこんにちは。ありがとうございます。
    「美人ケ谷」、インパクトもあっていい地名です。もっと生かせればいいのですがね。
    遠州の土豪たちも奥が深く面白いのですが、勝者の作る歴史の中で歴史から
    退場していった「家」たちを推することは難儀ですね。
    相良の鬼女新田の「鬼女」は聞くところによれば、年貢支払いの滞りを徴収する役人が
    初めて使ったようです。
    要は鬼の形相で「払えない」と突っぱねたのでしょう。
    鬼女が居て年貢を払わない・・・仕方ない・・・という構図になるかは別として。

  • #6

    今井 一光 (月曜日, 11 9月 2017 11:37)

    野村さん。ありがとうございます。
    現場を拝見していませんので何とも言えませんが、
    美人ケ谷石ケ谷氏の発祥を紐解くその「石」を放置しているのでしたら
    掛川市のスタンスとして違和感がありますが、そういった郷土の歴史については
    真っ先に学芸員が動くものですので「評価」が「それなり」なのかも知れません。
    また、掛川市の文献を探したワケでも勿論ありませんが・・・