伊平の井平氏居館跡 整備と案内板の新説に感服

「おもてなし」の大風呂敷を広げられても現状、「そんなこと言っていられない」という京都のバス事情について記しましたが、観光の目玉が集中する京都ならではのところ大であって他の観光地はそう切実ではないかも知れません。

何しろ「常軌を逸した」に近い大挙ですからね、京都の地は。

日本国内でも人気最上位で、海外からのお客さんがそちらに集中

すれば、右肩上がりの「インバウンド(Inbound)―訪日旅行」の3年後の夏の京都は地獄を見せつけられるかもしれません。

オリンピック時期の「ついでに京都へ」の選択はかなりの確率であることでしょうから。

 

バスの件はおそらく些末な事。

以前記した伏見稲荷の観光バス駐車場のトイレなど劣悪のお手上げの躰を曝していましたからね。「迎える」ということのベースとなる処方を今一度見直すことが必要でしょう。

 

トイレと言えば人気のウォシュレットがホテルから宿泊客に持ち出されるという事案があったといいますね。「新しい客」を迎えるということはどのようなネガティブ要因が待ち構えているか一つ覚悟のようなものも必要です。

お国柄と文化が違うということは私たちの想像を超えています。ちなみに最近はホテルによっては備品持ち出しに際しての弁済についてチェックイン時に「誓約書」まで書かせているようですね。

 

さて、井平城について昨日に引き続き・・・。

この井平城を井伊谷に客人として招かれた連歌師の「宗牧」(宗長に師事)がその紀行文(東国紀行)にこの城についてその存在を示唆している箇所があります。

「片岡かけたる古城あり之も井伊家一家の人」・・・の件。

 

とは言いながらも城址の本格的整備は大河ドラマの採用が決まってからのことで、それまではここに城があったという、確証をもっての専門家の主張はなかったのかと思われます。

案の定、城好きたちには欠かせないあのバイブル「日本城郭大系」の記載はありません。

まぁその書籍に採用されていない城たちはまたぞろありますが・・・

 

今こちら周辺を歩くと所々設置された親切な案内看板の多さには驚きです。

伊平といえばその本命たる井伊谷とはかなり離れていますし、失礼ながら「山間地」でとても利便とは言えない場所ですから。

 

余所者の私にはありがたいことですがこれが何ともななく観光客として歓迎されているという雰囲気になれるのです。

ハッキリ言って小銭一つの出費を期待しているものではありません。飲食店といえばあのうどん・そばの店くらいでしょうか。

 

放送開始前の荒れ気味の城址の遺構について地区の人々が集まって整備活動をしていた様子を思い出しましたが、これこそが「おもてなし」というものを感じたところ。

 

看板は昨日の「→」の通りに行けばスグ。季節感ナシ失礼。