ところ変われば カルチャーショック 収骨場にて

夏のイベントの花と言えば「花火大会」。

しかし「やめた」という英断をされた自治体等が増えつつあるようですが、この辺りの地区は尚健在です。

昨晩もどこかしらから遠方からのドンドンと特徴的な音が響きましたが、何しろネコどもの驚き様は尋常ではありませんね。

花火による結構な精神的ショックを思います。小さな心臓がバクバクですからね。

 

相良の花火大会は8月10日の開催予定となっていますが、その日の夕刻約1時間半は彼らにとって「地獄」を思うのは例年のこと。

私はこのイベントは個人的には無くていいとは思っていますが、例年通り継続してできるのは観光協会の営業努力の結果でしょう。かつて宴のあとのゴミだらけの海岸を見てもそう思ったものでした。

 

さて、葬場の「収骨」について。

私は当地ではできるだけ収骨には立ち会うことにこだわっていますが、全国的に斎場のお勤めに関して、僧侶は火葬炉の前のみというのが一般のようです。

しかし、私の存じ上げる真宗大谷派のご住職は火葬場勤行は一切行かないといいますから、住職次第ということでしょうね。

 

葬場勤行でも「ところ変われば」でそれぞれのやり方というものがあってやはり知らない地に赴いた際は毎度毎度ドギマギさせられます。

システムも担当者のクセもそれぞれなのでしょうが、初めての場所となると「どう動くか」という点がポイントとなってより注意深い対応を心がけます。

それには担当者に声をかけて①お勤めの場所とタイミングの有無②収骨の場所③収骨の際にお勤めできるか④行程の時間・・・を聞いてしまうのが一番です。

最近は④については伝えてくれますがクールダウンの時間をどうとるかでも違ってきますので時間をある程度確定させたい時は念入りに聞く必要がありますね。

 

先般の関西系の施設での担当者との会話の中で「収骨は坊さんはまず来ない」とありました。

どちらかでも記したことがありますが、収骨室での「ご担当の独壇場」のイメージは推す通りですから、ホントは坊さんは居ない方がやりやすいことは確かでしょうね。

しかし「収骨に坊さんは来ない」の状況は東西大差ないようでした。ただ私が立ち会いを所望するのはただ個人的に「そうあるべき」と思っているからですが、「行かない」という確固たる理由が無いからです。

 

以前ブログで記したと思いますが、ご担当はわざわざ白衣に着替えてきて、それぞれの部位を医学的に解説している様子に遭遇したこともありました。

迷信染みた無根拠な「解説」も往々にしてありますが、ショッキングな現場に於いて耳に入ると他愛のない言葉も恰も重大な事と思い込んでしまいがちに。坊さんは「監督」する意味で沈黙しつつその場に遺族と帯同することは必要と感じています。

 

その辺りの件は、関東でも関西でも同様なのではありますが、先日の施設では「これが関西系か・・・」とちょっとしたカルチャーショックを受けました。

そもそも葬儀場から持ち込まれた骨壺がヤケに小さい(当地と比べて容積で1/4程度)と感じましたがこれは、東京のハイテク火葬場に多い「大火力40分」か、炉から出した遺骨を事前に見繕って縁者の前に披露する方法かと、思い込んでいました。

 

しかし違いました。

待ち時間は1時間30分以上ですから、当地と変わりがありません。そして収骨場の台車にはすべての遺骨がそのままのカタチで載せられていました。

 

さてどうなるかと傍観していれば、分骨用の第二頸椎(葬場ではなぜか「のどぼとけ」と言われます また当流ではその部位へのこだわりはそもそもない)かそれらしき部位の骨を小さな収納ケースに入れ、その1/4程度しか入れられないケースに収めたあとの残りの大量の遺骨を残したまま退場の案内。

これには驚かないワケがありませんでした。

 

残った遺骨はどうするの?と思わない人はだれ一人居ないでしょうね。当地の火葬場では一旦台車に移し替えるもののそちらに載せられた遺骨は「すべて」骨壺に収めて持ち帰るというのが筋。よってこの「大部分を残したまま退場」には強烈な違和感を覚えてしまいました。

 

御開祖の

「それがし閉眼せば、賀茂河に入れて魚に与うべし」

いわば「遺骨に執着するな」であって「墓は無用」の如くでもありますね。

ぁそういうわワケにもいかないだろうということで御遺体は荼毘に付されて廟が構えられてそれが本願寺に発展したという経緯があったのですが、そもそも私たちも「計らわず、執着せず」のスタンスはあるべきでした。

 

今度のそのカルチャーショックに関西系おそるべしを感じ、むしろそれこそが御開祖の教えに近いのかも・・・と思った次第です。まぁ、収骨に出向かなければこういった発見はないでしょうね。

このようにする理由はむしろ「市民サービス」以外は考えられません。残りの遺骨の収集と一時保管と処理の手間がかかる事は目に見えていますので当然にそれらにコストが発生することは確かなこと。すべてを持ち帰って各自にまかせればそれで済んでしまう話ですからね。

 

昨晩は恒例相良本通りの夏のイベント。

歩行者天国になっています。

鳴り物入りで発売された「マキティカレー」が並んでいましたので6個購入(1個500えん)。そちらではライス+冷茶が付いて600円でしたが帰宅してのんびり、おいしくいただきました。

濃い目の味にダイコンがアクセント。