光鏡院隣接のもう一つの寺 龍泉院の宝篋印塔 

果たして梅雨あけ前にこのような暑さがあったのか、記憶を辿ってみてもそうはなかったような・・・梅雨のイメージは毎日のように雨が降り続いて時として「油断すれば風邪」といった寒さがあったような・・・こういう状況はもっと若い時に経験したかったものです。

まぁおかげで境内のハイビスカスは咲き誇って、また数十年前に沖縄土産で買ったブーゲンの木っ端から成長した株は今年2度目の開花です。いまのうちはまだわずかですが見栄えがしてきたらアップしたいですね。

 

沖縄といえば、奥方が沖縄ショップに行って「金武」(きん)のタコライス(通称「キンタコ」)他いろいろを買ってきてくれました。こういったものが内地で売られていることは驚きでしたがやはり現地で「出来立て」を食するのが一番です。

 

さて、光鏡院の掲示板のとおりその寺は昨日記した二代氏貞の菩提寺松寿院とこちらの龍泉院にはさまれてあると記されていますが、こちら龍泉院は三代氏俊・・・ではなくてその奥さんの菩提寺です。龍泉院とはその人の戒名、龍泉院殿からですね。

氏貞の院号も「松寿院殿」でした。

 

奥方に頭があがらないというのはよく見かける図式で、そうは珍しいことではありませんが、「奥方様の菩提寺」というのは少々「主人よりも格上」を感じます。

では瀬名氏俊室とは・・・御屋形さま、今川義元の妹だったからでしょう。

 

格上の家から嫁をもらうと・・・まぁ一生頭があがらないワケで・・・むしろ家庭は円満?

いやそうでもないですね。信長の娘をもらった築山殿の息子でもある松平信康の件がありました。

 

お寺のある山腹中段に磨滅がキツイながら宝篋印塔が単独で建っています。「龍」の字はこのあたりの山系に使用されているようですが泉が湧き出たのでしょうか、それを推察されますが、地盤が比較的丈夫であることをも思います。

こちらのお寺は光鏡院墓域のお隣にあってそちらの墓地に上がったらそのまま北西側に歩を進めます。画像最後から2枚目が光鏡院墓域から西を見た図ですが、龍泉院本堂が見えます。

最後から3枚目が石塔背後から光鏡院方向を見た図。

最後の画像が石塔付近から見た駿府館方面。

 

石塔そのものはバランス的には不安定感アリアリ。果たしてすべてのパーツが当初のものかも疑いたくなるほどのアンバランス。相輪がデカすぎで塔身のカタチ・・・というか五輪塔水輪のようなのも積まれています。