大沢基胤 舘山寺堀江城と宿蘆寺墓域

静岡は暑かったです。

たまたま二週連続で月曜日に法事がありましたが本堂内陣は蒸し風呂状態でした。

お内陣はお灯明があるため周囲の戸は締め切りですので風通しに関してはまったく期待できません。

また一つ齢を重ねたせいですね。法事が終了したあとはつい「ふ~ぅ」と出ていました。

昼食後スグに静岡方面へ所用で移動しましたが、気温はどんどん上がって、この時期「こんなの見たことない」というのが①画像。予報によると梅雨明けも早そうですし、暑さも「より一層」と聞きます。ここのところ法事終了後のご挨拶は「エアコン活用して水分とってね」。

台風の接近がありますから当面の注意点はそちらですが・・・。

 

帰宅してからは日曜日に録画していた大河ドラマをさらっと。

城を作る作らないの段でしたが、この城とは堀川城(またはこちら)か刑部城ですね。

まず堀川城で間違いないと思いますがこの城には瀬戸方久が関わっていたという説もあるくらいです。

 

番組では大沢基胤と堀江城の名が出てきました。

そして番組最後の紹介部分はそちらの城址と大沢家菩提寺の宿蘆寺が。堀江城と堀川城と紛らわしいですが・・・

場所はこちらになりますが、堀江城はあの「平蜘蛛釡」の展示のある舘山寺博物館の直近になります。とはいえ現在はただの遊園地となっていて城としての見ものは地名の「堀江」以外無し。

 

宿蘆寺には江戸期風、背の高い大名家風宝篋印塔があります。

大沢基胤といえば三河から一気の力攻めによって劣勢となった今川氏真にギリギリのところまで忠誠を尽した家ですね。

家康軍は相当堀江城の大沢基胤に痛い目にあいましたが、タイミングでしょう、家康は根負けして大沢一統の本領安堵を約して和議と収め、配下とします。

 

家康はその約束を違えず大沢家を以後戦働きに活用、基胤にその子の基宿も戦功をあげて「高家」として引き立てられて堀江藩は明治まで続いています。

家康は名家好きといいますが、大沢家は藤原道長の血を引くといわれています。墓碑にも「藤原」が強調されているところがうかがわれます(最後の画像)。

 

画像②③④堀江城跡の遊園地。④の遊園地案内図に御陣山と堀江城の名が見えます。⑤⑥が近隣の舘山寺。

⑦~が宿蘆寺と墓域。