遠州では耳馴染んだ地名 気賀 中村家

昨日は完全に「夏」。

熱中症が言われるようになって久しいですが、今のうちからこの様子ですと、盛夏の候にはいったいどういった騒ぎになっているのでしょう。遠く富士山や南アルプス方面を見やれば雪がハッキリ見えます。まだまだ高所は「冬」のよう。

 

日本人全体が軟(ヤワ)な体に(精神的にも)なっているようです。私どもの高校夏合宿(サッカー部)といったら、精神論繁盛の時代でしたから、炎天下の練習中に水を飲むなど厳禁当然の時代。

休憩タイムに「赤ら顔の先輩」が手洗い場まで付いてきて監視、少しでも不審な動きがあると「キーキー声」で「飲むな!」と叫びまくっていた姿を思い起こします。根性悪そう。

それでいてぶっ倒れた者など一人もいませんでしたから不思議なものです。

 

そんな夏日といえばちょっと前ならば時間を見つければデッキチェア+タオルを軽トラに積み込んで文庫本の1つも手に地頭方あたりの海でプチリゾート気分を味わったものですが、最近は躊躇するようになりました。気持ちとしてはその気分は味わいたい気持ちはあるのですが・・・

 

もっとも昨日の場合は午前中は法事+お斉、1400時からは無量寿茶の販売実績を発表いただく総会がありました。

販売の方はおかげさまである程度の実績がありました。

(婦人部からお寺への寄進としてテント2張りが加わって計3張になるなどまずまずの数字を戴きました)

 

 

私が高校1年の夏、野球部の静岡地方予選大会の1回戦、島田あたりの球場だったでしょうか、応援に動員させられたことがあります。

まぁクラスメィトの花道ですから、気持ちとしては前向きに応援席に着きましたが、意外に好試合になって結果勝利したことを思い出します。

サッカーでも野球でも殆ど勝ち目のないような高校でしたから特にその時の勝利は記憶に残っています。

 

そのお相手が「県立気賀高校」。

現在は統廃合によってその名は残っていませんが、「気賀」とは耳に馴染まない地名である、と却って記憶に刻まれていました。それ以来、気賀といえば井伊谷の南、「奥浜名湖」のことと、理解していました。

 

さて、昨日の大河ドラマに気賀が出てきたワケですが、直虎の台詞で「気賀とはどこ?」には違和感。視聴者の立場での台詞なら仕方ありませんが、当時の井伊惣領の言葉としてはオカシイですよね。

井伊谷の鼻っ先を流れる井伊谷川が浜名湖に流れ着く地が気賀ですし当時は河川を利した水運など当たり前のことで尚かつ伊平や三岳山あたりと同等あるいはむしろ楽に行けそうな場所ですからね。

 

まぁ歴史的にハッキリとわかっている人物を登場させなければならないという意図からの演出だったのでしょう。しかし、あまり「キーキー声」が過ぎると耳に付いてしまいますね。

 

気賀はドラマではこれから家康の侵攻によりボロボロにされる地でもあります(堀川城 獄門畷)。その地をまとめていたのが中村家でした。中村家址は気賀駅北、NTTの建屋のあたりです(場所はこちら こちらも参考まで)。⑥⑦は本陣前公園バス停前の図。⑦は正明寺。

①②③は小堤山から。ラスト3枚は境内の一コマ。色といい光の加減といい「夏」です。

ケヤキの実は葉につきます。ちょうど今これらがパラパラと。秋でもないのに・・・何故なのか私にはわかりません。