逆臣なれど祟りをおそれる 但馬社 井伊二宮神社

昨日はあれだけ「榛原とは手切れ」と言っておきながら榛原の檀家さん宅の法事へ。

まぁ私の放言など適当に聞き流していただければと思いますがその「手切れ」とはあくまでも行政区割りの話。

 

榛原地区の相良高校出身という方もおられますし何も「榛原在住の人」が憎いワケではありませんからね。

「坊主憎けりゃ~」の如く憎しみの対象を持つこともイイことではありませんが、その関りのある事物に対する「やつあたり」など持つことはいけませんね。

人の心に沸き起こる過度な憎しみや怒りはしばしば暴走し、とめどもない闇に引きずり込まれることは歴史の流れ。

今朝がたの「またミサイル」には驚きましたが、NHKが通常番組を打ち切ってまで「政府高官の怒りの場」に中継を変えたことは違和感がありました。

 

まぁいわゆるパフォーマンスであることは(あの国の大将と日本の政治家とも)承知しているところですが騒ぎ立てても仕方ないですね。

あの国の「国家としての初めてのハッキングによる強奪」(他国銀行へ不正アクセスして現金を引き出した件)といかにも「ならずもの国家」の標を裏切らない暴挙を見せつけられて「相当カネに困っている」感が漂っています。

しかし、あの勢いで花火を打ち上げていれば厳しい経済制裁の中、いずれ干上がることは目に見えています。

 

耐力勝負で放置していればいいのですが、逆にあのように早朝からの大騒ぎ風「あたふた」の様を見せつけてしまえば相手の術中にハマってしまいます。無視・放置が一番なのですがね。

そう「煽るなよ」です。

 

「撃たないでくれ」の対価としてカネを支払っていては終わりなき軍備の拡張をなし「定期的脅し」をかけてくるは必定。

ここは「城」を包囲し兵糧攻めにするのが一番なのですが、人道上の問題と暴発が恐ろしい。

そこでやはり「対話」というもので平和を主導していただきたいものです。それが政治家の使命。

やっぱりどちらの世界であっても「怒っちゃダメ」です。

憎悪の連鎖は止まりませんし、ちょっと憎らしく感じましょうが「金持ち喧嘩せず」がいいな・・・。

 

それにしても政府が国民に無用な危機感を煽って、今の政治の稚拙をはぐらかそうと「イイ材料!!」と飛びついた感も否めませんね。ちなみに民放系にチャンネルを変えてみましたがどのチャンネルもノー天気のオリジナル放送でした。

「振り回されて 振り回している」NHKも大変そうです。

 

さて、以前ブログで記した東熊堂の高尾山古墳の「維持整備かぶっ壊して道路を作るか」で両派が揉めていることを記しましたが、ある方の報によれば、なにやらその紛糾の関係者の中、「5名が死亡した」とのこと。

仏教的に言って「それは偶然」と評するほかはありませんが、失礼ながら話半分として承ったとしても少々興味が湧きますね。

「ホントかよ」と身を乗り出したくなってしまいました。

現状確認する術はありませんが、そういうお話は日本の歴史の中に多々登場してきます。

 

それを「祟り」(たたり)といいますね。

祟られるスジの人というものはまず大抵が祟るものに対しての「不謹慎~暴虐」でこれは「やりすぎの悔恨」から生まれるものです。他者の様を見て「おそらくそれに違いない」と萎縮しながらその沈静化を望むというスタンスも歴史。

「祟りは怖い」というイメージが作り上げられたのでした。

 

先日はブログにて井伊の「小野政次の墓」について記しました。そちらはそれより以前に記した井伊谷城の東側山麓あたりということになりますが、その地点よりは井伊谷城よりにある二宮神社(場所はこちら)には大河ドラマにあわせて建てられたであろう案内板が。

 

というのは私が前回ブラついた際にはありませんでしたから。

その看板に「祟り」という語を見つけました。

まぁ画像の字面に目を通していただければと(少々ピンボケ失礼)思いますがこれが「小野政次の祟り」なのでした。