地元寺院のあつまり  須々木海雲寺  瀬名氏貞

「生まれも育ちも神奈川県」と言ってもそう間違ってはいない私ですが、かといってまったくといってその神奈川という地に愛着はありません。

むしろ当地に来られて良かったという気持ちです。しかしながら私の趣向は「近江」〇「沖縄」◎ですが・・・。

 

そういうこともあって私のすごしたことのある小田原や横浜市金沢区あたりで発生した事件事故などの報道はつい「耳がダンボ」になってしまいますね。

それでいて地元相良の目と鼻の先の事故、11日に発生した最近の交通事故頻発危険区域である相良バスターミナル前交差点での事故負傷者が拙寺檀家さんだったなどの情報はなかなか入らず、昨晩になって「実は・・・」と別の檀家さん情報筋より詳細を得たのでした。

 

ある意味、「寺に連絡しない」ということは「よろしいこと」でしばしばそういう場合「寺はまだ早い」と突っ込まれるところです。

幸いにして私が見た現場の危機的状況(信号無視した車がその方の車の横っ腹に突っ込んで横転)から想像したものとは違って重篤な怪我にはいたらなかったよう(確証はありませんが)。

 

しかし寺が世話になっている方で、もう一方の相良事情通でもあります。ここのところ姿が見えないと思っていれば・・・

何より今回のバスツアーに参加していただくことになっていましたので、私としてはその方の欠員はハッキリ言ってキツイですね。

早速本日自宅を訪問して様子うかがいに行ってきます。

 

さて昨日は榛南仏教会の会合。

前々回はそれ自体の副会長としてのお役をさせていただいていましたが今回は相良の仏教会「理事」というお役で臨済宗の海雲寺さんに向かいました

 

会の冒頭は般若心経→大悲心陀羅尼の読経から。

その2つの経典名は知っているものの「教科書」が無くては私にはまったく無理なはなし。キョロキョロするだけ。

 

また大悲心陀羅尼を聞いていると、「そういえば・・・」と思うところがあります。

あの地震、「3.11」の当日の榛南仏教会の役で弔問した平田寺さん(やはり臨済宗)での2度目の葬儀出席(たまたま2度続きました)の際に膝の痛みを堪える中で「何コレ?」と思ったこと。

経典の中の連呼するフレーズに思ったものです。

 

経本には「娑婆訶」の漢字が充てられていますが「そもこ」音。こちらは「五輪塔」などの真言系の墓石に当たっていれば遭遇する「ソバカ」音と同一の語です。

大抵が大日如来等、各仏の名の最後に記される呪文のような言葉ですが、「願成就」を表すといいます。

 

その「大悲心陀羅尼」を聞いていて当初「何だよコレ」とニヤッときたのはその「娑婆訶」(ソモコ)がまさにしつこいほど連呼されるのです。

ソモコーソモコー・・・と。

 

ところが私にはこれが毎度「そのこ~そのこ~」の連呼に聞こえてしまいます。空耳どころの騒ぎではありません。

実はこれは当家のお方さまの名でありまして・・・「園子」です。

 

ということでまったくその経を詠むのは忌わしいこと(諱名)であります。もっとも私の慣れ親しんだ日ごろの節つき、音程が違いますので口パクになってしまいますが・・・。

まぁどなた様もこの経典を聞いた事がなければわからない世界です。

 

画像は海雲寺門前の看板。

藤枝博物館の今川展も近いですね。

本展は文書が主体ということですが、案外と残っているものです。平田寺には武田の安堵状、こちらには今川の安堵状です。

これらの残存はたまたまのことでしょうが、本来ならば両方が残っていても不思議はないところ。

 

面白いのは「瀬名氏貞判物」。永正十五年とあります。

相良あたりの行政に顔を出していたという証ですね。

瀬名氏貞は瀬名義広(関口親永)の父。

瀬名義広(関口親永)は持舟(用宗)城主で瀬名姫(築山殿)の父。

築山殿については伝承する各墓について記していますので「過去ブログ墓」を。

大河ドラマでは「瀬名家」にも話が突っ込んで進むくらいのストーリーを予想していましたが・・・。勝手な期待でした。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (金曜日, 21 4月 2017 09:08)

    お方様の名前は園子でしたか。
    それでは読みにくいですね。
    私も正信偈に出てくる「生死」=ショウジが読みにくいです。
    自分の名前を読み上げるのは変な感じですね。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 21 4月 2017 20:35)

    ありがとうございます。
    経典は若い頃は当然にその「音」で覚えるものでただ「真面目くさって」
    意味不明の事を発声している自分と、時に上記の如く「何だよそれ」というような
    「音」を聞いては読経中に突然噴き出して笑ったりしたことを思い出します。
    講師には白い目で見られていました。
    さすがに最近はその意味がわりつつあってそういう失態はなくなりました。
    経典の「音」は今の言葉とは違いますから各耳には色々な言葉を連想した語に
    聞こえてくるでしょうね。