愛知川  石橋  不飲橋       4/10 BS6 (月)  顕如vs信長

今週のテレビ小僧。

月曜日のBS6チャンネルの「日本歴史鑑定」は「三方原」戦でした。小和田哲男先生が登場する番組で、「三方原」と言われればチャンネルを合わせない手はありませんね。

そうなると「ひょっとして成瀬藤蔵ネタに振ってくれないかなあ・・・」という嫌らしい根性も惹起するわけですが、その件番組の進行上致し方なし、登場はありませんでした。

家康の「身代わり」の第一といえばやはり夏目吉信の方ですからね。

 

①②が夏目の「夏目次郎左衛門吉信旌忠碑」。以下裏面。

世に伝えられる有名な件でした。

 

「元亀三年冬徳川家康武田信玄ト三方原ニ戦ヒテ大敗ス時ニ夏目次郎左衛門吉信浜松城ニ留守セシガ急ヲ聞き与力二十余騎ヲ率い馳せ到レバ家康既ニ死ヲ決セリ因リテ大イニ之ヲ諌メ馬首ヲ浜松城ニ向ハシメ畔柳助九郎武重ニ目シテ日ク汝速カニ主君ヲ護リ去レト乃チ槍ヲ揮ヒテ馬臀ヲ打ツ馬驚キ奔ル家康辛ウシテ城ニ入ル是ニ於テ吉信自ラ家康ト称シ敵陣ニ突進シ奮戦シテ主従共ニ死ス実ニ十二月二十二日申ノ下刻ナリ時ニ年五十有五従者其ノ屍ヲ収メテ城ニ還レバ家康深ク其ノ忠死ヲ悼ミ郷里三河国幡豆郡豊坂村六ツ栗明善寺ニ於テ厚ク葬ラシム」

 

その番組の来週同時刻(夜10時~10時45分)の予定の番組タイトルが「信長vs最強の宿敵・顕如」です。

これも楽しみな番組の一つです。

さて、先々日の大河ドラマで掛川の「十九首」の地名の紹介がありました。当ブログではかつて(5年前)将門の首」との関わりについて記しています。

 

今回その名の由来について語られていたのが今一つ言われている、今川氏真に弁解の為に駿府に向かう井伊直親一行が朝比奈泰朝に討ち取られた場というものでした。

いずれにせよこういった地名は古の匂いがして現在も残されていることはとてもよろしいことだと思います。

キラキラネーム変更の自治体数多い中、大事にして欲しいものです。古い地名には意味がありますね。歴史を消す事に繋がりかねない名称変更を軽々しく御提案なされませぬよう。

私が遠州にて数少ない胸を張って自慢できる地名です。

 

その点、近江の地名で古くて面白そう、そして紐解いていけば「納得の地名」はいくらでもあります。

先日は愛知川宿の今の国道8号線との接点(京都側)の看板を記しました。

その御幸町は明治天皇に関わり(通過・投宿)がある新しい町名ですが、その近くに「不飲橋」と呼ばれる橋がありその国道8号との交差点名とバス停がやはり「不飲橋」です。

また「野間津」の名もみえます。

 

不飲川(のまずがわ)に架かる橋ですから「不飲橋」なのでしょうが、なぜその水が口にできないかといえばなぜかここにも将門の首伝説があるのでした。

要は首を川で洗ったために血で汚れてしまったということで、同じく首を洗って橋に懸けて懸川となったいわれる掛川での首実検伝説からするとかなり矛盾しています。

 

ホントのところはまったくもって不明ですが、戦闘の中で死者が川に流れることはよくあるお話で、特にこの地区の人々にそれが強く印象付けられたことによって「飲むのは憚られる」という伝承が長く残ったのかも知れません。

ではまったく将門伝承は嘘かといえばまんざらそうでもなさそうなのですね。

 

愛知川宿の豊郷側、宇曾川に架かる「石橋」から石橋という地にも将門伝承が残っています。この石橋の本来の名は「歌詰橋」です。

伝承としては将門を討ち取って京に凱旋する藤原秀郷を将門の首が追いかけてきたということのようです。

ここでも古くから将門の怨霊伝説はあったのでした。

 

「歌に詰まる」は文字通り「返歌に詰まる」「歌が詠めない」・・・「バカ」を示唆しているのですが、将門は「関東の無知・粗野な田舎武者」であることをここで裏打ちさせようという意図も垣間見られます。飛んできた首に向かって「歌ってみろ」と言われて将門の首は困惑して落下するというオチですね。

 

看板を読んでいて「宇曾川」の語源が材木運送・・・「運槽川」からの転化ということがわかりました。地名は面白い。

 

それにしても先日の句仏の返句といい、将門が詰まったという返歌といい、詠まれたら返すのが「礼儀」というところ、どれだけみなさん教養深かったのでしょう。

戦国武将の「連歌好き」というところも今一つ将門と同じ関東生まれの田舎者の私にはピンときません。

 

関東は往古より「お下劣」とのイメージがあったものですが、家康下向以来、「江戸」そして「東京」などと持て囃されて、今ではだれもかれもそちらに向かうことが一番のならいとなっているようです。

 

画像は古い画像が混在しています。藤枝の蓮花寺池の桜の開花情報が昨晩のニュースでありましたが、「蕾」。

中遠は静岡の中でも相当開花が遅いことがわかりました。

 

 

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    野村幸一 (金曜日, 07 4月 2017 00:58)

    由来が物々しい?と思わせる地名ありますね!私の故郷の富士宮には人穴という場所があります。子供の頃由来を聞いたような気がししますが失念しましたが、なにか不気味な感じがします。

    今から20年近くになりますかね?日本中を震撼させた団体の本部がそこにありました。。

    GWに家族で墓参に伺います。又七郎の暮石は境内のどの辺りにありますか?

  • #2

    今井一光 (金曜日, 07 4月 2017 07:20)

    ありがとうございます。
    昔の人は「おぞましい」歴史について「近寄るな」の意を込めて伝承したものです。
    歴史を隠すことなく伝承することは守りたいですね。

    墓石は鐘楼の裏に並べてありますがさきほど見に行きましたところ雨に濡れて判読不能でした。今度ゆっくりと探して印をつけておきましょう。