湖東の「109」愛知と犬上    東山道以来  条里制

4月2日にはそめいよしのが静岡で開花したとの報がありました。そして昨日午前中は青空が広がって温かな陽気となりましたのでその開き具合について近くの木々を見て回りましたが蕾の方は「もうそろそろ・・・感」はありましたが見たところまだ1つの開花もありませんでした。

 

東京が散ったあたりで満開を迎えるくらいになるような感じでしょうか。予報によると6日以降雨降りが続くようですから「花まつり」(4/8)が終わったあたり来週以降まで静岡の本格的な春は我慢しなくてはならないかも知れません。

どうやらタイミングがうまくない方もいらっしゃるでしょうね。

 

さて近江地区をブラついてお会いした方が仰っていたことで面白いと思ったことがあります。

「近江は歴史が古すぎて研究者が対応不可」というものです。

そして「彦根以降については詳しい者がいるがそれ以前のことはダメ」とも。

これはギリギリ戦国期と彦根城(江戸初期)を起点とした歴史がスタートするということですが、彦根市はまだしも周辺各自治体の「地元の歴史」に関する探求心と学術的にも観光資源としても「公開していく」という努力が欠落しているということでしょうか。

 

私もその意見に合点したところでしたが、私は各「役所」の前を通過したら一応立ち寄ってみるというスタンスにあります。

そこで「教育委員会」の有無を問いますが、小さい町ですとカウンターを持ったその部署の窓口はまずないですね。まぁそれに準じた部署に案内されるのですが、私の意図はこうです。

その町の歴史について記したパンフや販売書籍の有無ですね。

旧跡も残る古い町であることが推測されるからこそそういった注文のチャレンジに立ち寄りますがまずは「特に何もありません」ですね。こちらの役場のお仕事は「市民サービス1本」という姿勢なのでしょうね。

行政がそういった(歴史への造詣)方針にないということがわかりますので、その方が仰っていた「努力の欠落」について「なるほど」と思ったのでした。

 

その方が特に仰っていたのは「奈良時代からの歴史」が残っているのに・・・との悔恨です。

それが「条里制」に「東山道」の名称が消えた事。

古いものの上に新しいものがのっかってそれらを駆逐することは往々にしてありますが、ここで記している件は「歴史」ですからね。

消された事象(歴史)を掘り起こしあるいは提示するというお仕事が「地元」の役目でもありますね。これでは地元に居住している方々でさえも地元の歴史に詳しくないという状況が起こりかねません。

少々端折った象徴的訓示ですが

「賢者は歴史に学び 愚者は経験に学ぶ」とありますね。

歴史に登場する人々の行動を見て自らの行動規範とすることです。勿論私もそれは好きな言葉であってその通りであると解釈しています。

 

元は関東南部「東海道」沿線の平地で育った私にとって「中山道」などはどこか遠くの場所のお話のように感じたものですがその「中山道」は上記「彦根以降」と同様にその歴史は近江の地にしては古くないのでした。

要は「東山道」の上ののっかった街道なのですね。

 

その「東山道」の歴史と匹敵してあるのがこの地区特有の「条里制」。やはり関東生まれの私にとってあの眼前に広がる広大な田圃とそれを彷彿とさせる正方形の繋がりは凄いの一言です。

 

表記「109」(イチマルキュウ)とは渋谷本拠のSCのことではありません。

条里制区画正方形の一辺が「109m」というお約束がありましたね。

 

そしてこちら湖東の条里制の基本は大河がつくる扇状地。

私が好きな愛知川(52.6km)、犬上川(28.3km)はじめ芹川(16.3km)、 宇曾川(21km)の4つの大河が挙げられますが鈴鹿山麓から流れ出てスグに扇状地を形成し、堆積平野をつくります。

そちらに碁盤目状の区画にした「開発」とともに人々の歴史があったのでした。

この地はこれら大河と切っても切れない豊穣の大地、そして大きな東上のための街道沿線であったわけです。

 

愚息とともにこの「愛知川」の橋を通過中、意地悪く「コレ何と読む?」と聞けば「案の定」でした。しょうがないといえばしょうがないかも・・・私もかつてそうだったような。

さすがに地元の方でコレをそう読んでしまう方は皆無でしょうが。

お隣の県名よりも私にとっては深い付き合いがある名でもあります。

 

愛知川宿のこちらのゲートは国道8号線から入った「御幸」という地のもの(このあたり)。この街道を進むと近江商人又十屋敷他、多数の見どころがあります。

航空図は拙ブログお馴染み敏満寺青龍山から流れ出て甲良町を流れる犬上川の流域の図。正方形重なりの図です。