駿府よいとこ  大御所選択理由  廓山和尚供奉記

3月に入って名実とも「春の訪れ」を再び感じられた事を歓びまた心底念仏いたしております。

「ただただ おかげさま」です。

 

「あっという間」なる語は常套句。ホントに日めくりのカレンダーのページを進めるが如く齢を重ねて見廻してみれば、お世話になったあの方この方、またぞろ変化変調をきたすなど「無常」感を漂わせています。

 

本日も境内にて立ち話。

健康生活への留意ということでしょう、60代過ぎてから色々な未知なる事に顔を出すよう心掛け、始めたことは①グランドゴルフ②カラオケ③茶道④ゴルフとのこと。

おそらくその方は以前からインディアカなるスポーツも参加していたと思いますのでハッキリ言ってそのオンパレードには唸らされたところ。

 

それぞれ「人に誘われて」その世界に足を踏み入れたそうですが、私などとは「心の開き方」「受容・寛容性」が違うのでしょうね。

私自身を評するに人の話はまぁ聞けるものの、それを気軽に「よし」と新しい世界に踏み込む「きっかけにしよう!」という気持ちに欠けるのか、度胸や革新性がないのかも知れません。

 

趣味として「墓場放浪」も悪くないですよ!と喉元まで出てきましたが意味不明になりかねませんのでそれには触れず、とにかくふくらはぎを鍛えて(健康長寿の基本とこころえます)、頭スッキリ、寝込まないようにしましょうということで終了しました。

 

さて、日頃私はブログにてこちら駿遠の平野部について「これほど住みやすい場所はない」くらいのことを記していますが、これはいわゆる「住めば都」的「地場の心地よさ」(勿論それも十分あります)ではなく、日本全国の皆様に胸を張ってお勧めできる地であることを言っています。

最近はこの地より都心に向かう女子供が多く、人口減少に拍車がかかっているというニュースを見ましたが、これは「本当の良さ」を知らないというかその良さを知らせてこなかった責任をも感じます。

 

私がその良さについていくら熱く語ったとしてもやはりその真実性について疑問が起こるでしょうからここで家康が語ったといわれる「駿府の良さ」を記します。

 

将軍職を秀忠に渡し、「徳川家世襲盤石」を表し、大御所として駿府に舞い戻った(昨日ブログ画像参照)家康がその居場所として(岡崎でもなく浜松でもなく小田原でもなく・・・)駿府を選択した理由のベスト5をあげています。「廓山和尚供奉記」(観智国師) 「予、当国を擇びて住するに、凡そ五つの故あり」です。

 

①我幼少の時、此處に住したれば、自から故郷の感あり、忘るべか

 らず

②富士山高く北に秀でて、山脈其の左右に列すれば、冬暖にして

 老を養ふに最も便なり

③米穀の味、他国に冠絶せり

④南西に大井、安倍の瀑流あり、北東に箱根山、富士川の剣あり

 要害最も堅固なり

⑤幕府に参勤の大小名等、来て吾を見るに便ありて~労あるなし

 

小和田先生が仰るには一番の理由は④とのことでまったく当然のことだとは思います。むしろ⑤などはオマケのようなものだったと。③のコメのうまさは意外でしたが当時であっては各地歴戦もそうですが食通の家康がコメの味を語ること大いに信ぴょう性があります。

 

現在その理由に最も賛同できるところは②の「冬の温かさ」に決まっています。

 

画像はお馴染み狩野安信の大御所の画像(日光東照宮像)。

②~は静岡県立博物館のロダンの「地獄門」。

当流仏門では地獄に参るにはこのような厳かな門はありません。カンタンです。

私の心の中にも大きく開いています。

地獄に堕ちるのも私、浄土に参るのも私でした。

 

しかし私は非僧非俗の凡夫、テレビを見ていて腹が立つ輩がいれば心中穏やかでいられません。

大きい声では言えませんが「地獄へGO!!」などと心で罵っている私がありますね。お茶の間裁判官といったところ。

 

正論・美談を鼻高々に吹く者は「ハーメルン」。

気を付けましょう。齢を重ねてますます思う今日この頃。