先日は「直虎花押」の件を記しましたが私は今ハンコを調達(勿論ハンコ屋さんで)しています。
というのも市の観光課からの企画打診がありました。
当地区の歴史を紐解きながら各寺院を「ウォーキング」して廻ろうというものですが、その際「御朱印の発行ができないか」と加えて問い合わせを受けていました。
各寺院一律の承諾が必要ですからまだ決定事項ではありませんが、その件は来週開催される相良仏教会の新年会にて観光課の担当が詳細説明をするとのことでした。
今年はなぜかインターバルが短いとは感じつつも相良仏教会の会長を受けていますので、そのように観光課若手の企画には是非協力させていただきたい思いが先走ってそのグッズを揃えに走っていたワケです。
3つのハンコを使用することにしましたが1つは親類に作っていただいたものを尊重し、あとの2つは地元のハンコ屋さんに依頼しました。
しかしながらご本山東本願寺の以前からの「御朱印」の見解は「やらない」ということでそれは宗派統一の方向です。
だからといって硬い事を言っていたら「おもろない」ことは確か。
そもそも御朱印というものはハンコはともかく「書する人」が常駐していなくてはなりませんので、拙寺では事前に作っておいたものを透明フィルムに入れてどこかに張り付けておき、本尊お参り後、料金(200円)を「賽銭箱に入れてって・・・」ということにしようと思います(書は池田屋さんに依頼)。
本山がそれを「やらない」の理由とするところは、「一回限りのご縁になりがち」というところを指摘しています。
よって「次回」継続のお参りも約していただくことをお願いしてみたいと思っています。
信心仏心はそもそも当人の心の問題ですからね。
そして何よりもぶっちゃけ「お遊び」の一つですから「あまり考えない」というのもポイントでしょう。
さあ皆さんの賛同が得られるか・・・協力はOKですが歴史話について常時対応できるわけでもなく由緒等を記したプリントで対応するしかないでしょうね。「スタンプラリー」的軽々しさはちょっと引きますが・・・。
さて「ハンコ」といえば面白い発見の報が西本願寺からありました。
准如さんのハンコが見つかったというものです。
准如さんは本願寺東西分流後の初代西本願寺門主でやはり東本願寺初代教如さんの弟。戦国末期から江戸初期の人です(こちら)。印面には准如さんの名「光昭」の文字が記されています。
「本願寺史料研究所の書庫」から出てきたというのですから、やはり「今どきなぜ?」ですね。
①これまで残っている奇特さ②なぜ今まで気が付かなかったかなどなど偶然に偶然が重なっていところは推測できましょう。
やはり資料の膨大さもあるのでしょうが、とにかく「ある」ことが素晴らしい。
やはり愚痴をいえばつまるところ「蛤御門の変」ですね。
あのおかげで東本願寺の方だけ焼き払われてしまいましたからね。
昔から仏教界では「あってもなくてもおなじこと」(有無同然)とはいいますが、あれば少なくとも「話のたね」にはなりますから。文化遺産はまず「遺すこと」です。
②は同じく去年見つかって各紙を賑わした古文書。やはりお西系の「龍谷大大宮図書館」が神田?の古本屋で発見したそうです。まだまだイイものが埋まっているのですねあの辺りには・・・
大坂城への砲撃を指揮した且元が准如に宛てた書面には、大坂城本丸北にある「備前島」に布陣している様子、戦況に満悦する将軍秀忠の姿が記され「大坂より色々御詫言候」と、「豊臣側から非を認めてきた」ので和睦が近いという記述です。
片桐且元といえば顕如さんとの昵懇はイメージしていましたが准如さんとの関りも深かったことがわかりました。
画像は2点とも新聞紙上から拝借。
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