有時は奥山城(方広寺) 平時は根古屋奥山居館

三寒四温をようやく感じるような季節になったということでしょうか。昨日はまるで寒さがピークアウトして「春」を思わせる好天。

 

地代(牧之原市落居の別名 地頭方と須々木の間)の山(墓地)に向かうことになっていましたので初めて新調、準備していた襦袢の下に着る保温シャツをいよいよ・・・と思っていれば思わず朝から温かい。よっていつも通りに保温着ナシで山に上がりました。

行きがけに目を移せば白梅がついに開花していました。

 

実際に山に上がれば無風で動けば汗が出るくらい、少し靄っていましたが駿河湾の向うには富士山が。

穏やかな心地よさを満喫させていただきました。この調子で春を迎えることができれば、そんな保温具は不要です。

 

昨年は例年お世話になっていた男神の原のミカン畑が申し訳なくも全滅したという報せを受けていましたのでミカン山の収穫はナシでした。とても残念なことですが、夏期にまったく手入れに赴いていませんでしたので致し方ないことですね。

ビタミンCにカリウムの接種には最適な果物です。

ということでミカンは地元商店で仕入れていますが、先日は今シーズン最後のミカンを奥山で購入してきました。

 

富幕山の林道を超えればミカンで有名な三ケ日ですが、やはりこの辺りにはミカン畑多数。

奥山といえば井伊家に深く関わるいわゆる同族奥山家の本拠地です(奥山方広寺)。

 

奥山城はあの方広寺の後方の山にあたりますが、日本城郭大系によれば主郭は東西80m、南北70mの方形曲輪とあります。

しかし現状は採石場と化してすでに破壊が進み判別不可とのこと。この城は三岳城大平城とともに南朝方の拠点で後醍醐天皇の皇子の宗良親王が一時入ったといいます。

 

この奥山城はいわゆる有事の城。平常時の根古屋はこの方広寺に至る街道の2㎞程度井伊谷側にあります(場所はここ)。

お向かいには奥山神社がありますね。

 

この「有事と平時」の位置関係は少々広大な感じを受けますが、井伊根古屋である井伊館、井伊谷城と三岳城との関係と似ています。

 

以前通過時にはただの丘で標識もありませんでしたが今回行ってみれば旗指物が立ち、掲示板も据えられていました。

丘の上はミカン畑。国人領主定番の方形状で明らかに周辺とは形状を異にしています。井伊谷川の上流に位置することになりますが、地図を拡大すればこの館跡の丘の北側を除いた三方を囲む形が見受けられます。川は後世付け替えられているという可能性も残りますが、このU字形状は城館構築に合わせての付け替えと考えるのがすんなりきます。

 

その川に掛る橋を渡ってみると畔道の隅に1本の伐採された木立が見えました。その木の根元には案の定古めの石仏がありました。

 

こちらで一番心を動かされたのは、シーズン終了によって摘果されてミカン畑にゴロゴロ放置されたミカンたち。見れば八百屋の店頭にあったとしても何ら不思議がないような代物。

「コレって捨ててあるの?」とは思うものの畑の所有者の手から離れたものではありませんね。「寺の住職=ミカン泥棒」の如き新聞の見出しを想像して、ニヤリ。

その後近くの店で購入。これほどのミカンが今や1袋150円とは。年末だったら700~800円はしたかも。

車は中村公民館(浜松市北区引佐町奥山346-7)に。

 

最後の画像3つ、富士山が地代の墓地。梅は拙寺境内。