あ~やっちゃったんじゃねぇ?  ダメでしょコレ

先般は「除夕の鐘」でお騒がせいたしましたが、全国からたくさんの励ましをいただきました。ありがたいことです。

そしてまたクレーマーの暴言に対して「スンナリと引くとは何事であるか?」というお叱りもありました。

中には「クレームした人間を是非にも洗い出してその人の情報を教えてほしい。こちらから説教したい」的な少々過激な方も幾人かいらしたほどです。

 

相良在住の若い方からも「文化」「文化」とその歴史について「大切にしなくてはいけない」と異口同音に。

日頃その「文化」というものに対してことさら敏感な私がそのこと(文化の破壊)を指摘されるなど夢にも思っていませんでしたからここでも相当焦らされました。

 

しかしちょっと待ってくださいよ。

そもそも「初詣」という風習が明治以降に起こったといいますし、「除夜の鐘」の風習について「これこれである」といった文化的考察ができるものとは思っていません。

とても曖昧なのです。

年中行事としてその雰囲気はNHKの「行く年来る年」で頭に染みついているだけなのかも知れません。

 

私はこれまで父親がしていた通りの時間を一つの意見をきっかけにしてたまたま早めて行っただけですが、それに対して文化云々との御批判はちょっと違うのかな・・・と思っています。

文化は守るものではありますが、必ずしもその変化は否定すべきものではありません。それこそが臨機応変なのです。

そしてまた、その変化に対して不都合があったとしたらその手の流動性のあるものは簡単に元に戻すことができるものです。

 

ところが同じ文化でも遺されたカタチあるものを壊してしまうのであったらそれは大いに「意見」されるべきだと思います。

 

先に相良の古地図と明治大正期の絵葉書を照らし合わして紹介いたしました(→ブログ)。

その絵葉書は衝撃的でした。

相良「乃庄」さんの隣の「根上がり松」は有名で、しばしばその養生についての配慮が不可欠であることをブログ①でも記していましたが(またはこちら②)、実はその「乃庄」さんの根上がり松から通り沿いに100m弱離れた場所に松並木の土塁の痕跡がまだ残っています(相生丁 相良キリスト教会前)。

上記ブログ①でいえば最後の画像がそうです。

 

土塁上にはいまだ松の大木がありますが、おそらくあの絵葉書に映っていたものの一部でしょうね。

根上がり松とは違ってしっかりと地に付いていますが、先日散歩がてらにその道を通って見上げてみるとびっくり。

葉が赤茶けていました。

まずこれはマツクイムシの仕業だと思いますが、そうなればすでに手遅れか・・・まずこの松の末路は朽ち木以外の何物でもないでしょう。

 

生き物でありますのでいつかは枯れることはわかりますが、あの松すら守れない私たちの無様を思い知りました。

海岸の松たちがマツクイムシの害によって絶滅寸前になったことをまったく学習していませんね。

気の毒なことをしてしまったようです。怠慢・無配慮としか言いようがありません。

この旧海岸線を彷彿とさせる松並木のラインは相良住民にとっての文化財なのですが・・・

 

場所は相良教会のスグ脇です。画像④を行けば旧相良城(市役所・資料館)に突き当たります。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 10 1月 2017 08:55)

    文化ってなんだろう。ですね。
    中国の文化大革命もしかり。
    固定観念で見てはいけないかもしれません。

    また1軒 商売をやめる店が出ました。
    これも仕方ないことか。
    商店を必要とするならば残るし、必要としない世になれば消える。
    これは自然なことかもしれません。
    消えることに抵抗はしていますが、長い目で見れば儚い抵抗。
    淋しい限りです。

    取りあえずは今ある仕事に邁進するのみ。

    昨日1時間ばかり時間があったので本屋さんに「お文」の本を買いに行ったのですが
    有りませんでした。以前買った「歎異抄」の別の解説本があったので
    それを買いました。
    本屋さんも今にネットになるのかも。
    「お文」の本もネットでないと手に入らないかも。
    これもどうなることやら。時代の流れですね。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 10 1月 2017 21:52)

    ありがとうございます。
    先日はネット社会が繁盛しすぎて宅配業者の配達員がパンクしている様子が
    テレビで流れていました。
    強烈な勢いでそのシステムが隆盛しこれからは空中に荷物が飛び交うように
    なるかも・・・ですね。
    つまるところこれが国の施策なのでしょうね。
    「グローバル」とやらを吹聴し「オール コンビニエンス」を謳歌、
    それらを受け入れていた私たちが自分の尻に火がついていることにさえ
    気づけなかったのかもしれません。
    耕作や商いを地道に行って生活の糧にするよりも大企業に仕事を見つけて、その歯車であると揶揄されたとしてもせっせと継続して働きさえすれば、より安定的な生活が得られるからですね。
    こういう世の中になったからこそ家業を後継させることが難しくなったのかも知れません。商文化が壊れかかっているのですね。