金剛輪寺宝塔の美形と白壁地蔵尊脇石塔の整列

現在ホームページの何かに不具合があってリンク先とブログ村の他のブログに飛べるバナーが壊れています。

修復を試みていますが、サッパリ・・・原因不明で面倒ですので放ったらかしです。

直接拙ブログに来ていただければありがたいものです。

 

まだまだ新しいメディアより問い合わせがありますね。

「奥の墓道氏」がいうには、「除夕の鐘」ネタは飽きたし「ピークアウトしただろう」と話していましたが・・・。

おそらく彼からすれば私がテレビモニターに顔を出して毎度の如くの内容が「ウザい」といったところでしょう。

あの世界は一旦火が付くとなかなか衰えないものがありますね。

 

最近は各局?(色々来られました)データを収集していますのでその「使いまわしOK?」の了承を得るための問い合わせがあります。私は、如来さんではありませんが「OK!OK!」と了解の連続。

近頃ではどちらの番組で放映されたのかも把握しておりませんので、檀家さんから「アレで見た、コレで見た」と投げかけられて逆に驚いているところです。

檀家さんとのお話のきっかけが増えること、大晦日の「除夕の鐘」本番に参加いただける方を少しでも増やすということからすれば本当にいいご縁になったと思っています。

問い合わせも大分落ち着いてひと段落ついたと思っていると昨日あたりは大阪と京都そして札幌から連絡がありました。

中には「除夕の鐘ブームになっていますが・・・」との切り出しに

「ホントかよ・・・」と思ったほど。

京都は出版社関係のようでしたが大阪と札幌はテレビ局。

札幌の方には「確か旭川でも昼間にやっていると聞いています・・・」とは伝えました。ちょっとばかりその理由が違いそうですが。テーマは「クレーマー」に視点が向かっていますので。

 

先日は檀家さんの京都在住の親戚の方と関西弁の知らない方から電話をいただいて「見たよ」あるいは「叱咤激励」の言葉をいただきましたが、それらは関連局からの画像拝借?ということで放映するのだと思います。

また静岡地区というのは面白くて、案外放映がカットされているようです。

 

全国ネットで放映していても、タイミング次第で地元放送局に変わる事がありますが、その件はやはり「切り替え」になりやすいコーナーでの放送となっているようです。

ということで、案外地元での反響よりも地元から他所に出ている縁者からの「連絡があって知った」人が多いようです。

 

一応、大晦日当日は波津コミュニティセンターの駐車場を確保しています。まさかとは思いますが小堤山駐車場等の案内も必要とも考え、私が道路に出ての整理が必要とも思っています。

 

さて、金剛輪寺について何度か記していますが、まるで観光案内「紅葉の近江古刹」の如くでしたね。

本日はブログタイトル「墓場放浪記」に沿って金剛輪寺の一番といわれる宝塔を。

 

金剛輪寺本堂の脇の小さな丘をあがったところにその宝塔はあります。

百済寺の本堂の脇にあの宝篋印塔があるのを思い出しますが、「本堂の脇のNO.1」というところでは同様のように思います。まぁ見落とす人が多いような場所で、百済寺よりもわかり難い場所で、私も危うく見過ごすところでした。

 

形状は近くに建つ掲示板参照ということで割愛しますが、あの掲示板を見て「秦荘町」教育委員会の旧名が光っています。

他の掲示板には「愛荘町」の名がみられました。

私は「愛知川」も「秦荘」も好きな名です。以前、古(いにしえ)の地名たちをいっしょくたにして「東近江市」なる名称に変えてしまったことを記しましたが市町村合併とは何とも無残なことだったでしょう。

当地では相良町をお隣の榛原町と合併して牧之原市にしていますので他所のことは言えませんが・・・

 

この金剛輪寺の門前には「愛荘町立歴史文化博物館」があって立ち寄りました。

一番の見ものは金剛輪寺の梵鐘です。

乾元年間(1302年)に河内国丹南郡黒山郷の河内助安により鋳造されたといわれています。黒山郷は今の大阪は堺市にあった地域で平安から鎌倉期の梵鐘製造を代表する場所です。

鋳造技術者グループがそこに集まり、各地寺院よりその受注を受けていたのでしょう。

 

そうですね、拙寺にあった梵鐘は天正期のもので金属回収令で徴収されてしまいましたが、乾元期となればさすがにセーフとなって残されたのでしょう。

あと一つ衝撃的だったのは「金銅造聖観音坐像のレプリカ」が展示されていたこと。本物の金銅仏は例のドサクサ(廃仏毀釈)でボストン美術館に流出してしまっていたのでした。そこで「そちらに頼み込んでレプリカを作らせていただいた」とのこと。これも本末転倒。いやはや悲しくなってしまいました。 

 

 

画像は博物館HPから拝借したものです。

梵鐘の彫りもよく残存していましたが撮影は許していただけませんでした。

 

なんでだろう・・・?

理由がわかりません。まぁ例の一辺倒でしょうから理由もへったくりもありませんが。

 

ちなみにどなたが来られても「OK!OK!」というのが私のスタンスというのはどこかでも記しました。

 

この寺を出てスグ、名神高速道路のガードをくぐって松尾寺交差点との間(場所はここ)に白壁地蔵尊とその脇に並ぶ石塔

があります。近江につきもの開墾開削によって出てきた石仏たちを並べている図ですが、あれだけの整列は見事です。

 

パッと見、地元有志の仕事ということらしく、石塔パーツの積み方に関しては無配慮の様子がうかがえます。

片っ端から適当に積んでやっつけたという感じです。

また石仏たちをいっしょくたに「地蔵」と表現しているところもありがちでした。

あの風車の意味も不明です。勿論前掛けも。

気持ちはわからないでもありませんが・・・

 

尚、ケチばかりつけてすみませんでした。

白壁地蔵尊についても看板画像によりこれも割愛。