東西で地震の発生、ジワジワ感を言う人もあれば、「イイ具合にチラしている」などと・・・盲腸じゃああるまいし・・・(そういって静岡人が背負っている地震の畏れをあたかも「無かったこと」にしようとしているのは・・・私です)
京都は好きな街ですが、それだけにいやな点を2.3挙げさせていただきました。もう一つ「もう少し何とかしろよ」と思うのが「ゴミ出し」とそれを荒らすカラスたち。
「ゴミ出し」には2つあります。家庭ゴミと設置されたゴミ箱がありますが、早起きのカラスたちが両方、路上を散らかしています。
地震と痛みを散らすのはうれしいことですが、こればっかりはねぇ・・・
寺院等の門前にそれらの置き場はまずありませんが、京町家でのゴミがまだ回収されていない時間帯の景色にはまったく興ざめです。住環境でもありますので景観とのかねあいのウェイトをどこに置くか、どう対応するか難しいところです。
現在はどうなっているかわかりませんが(おそらく変わっていないでしょう)、以前歩いた京都国立博物館前の七条通や正面通の耳塚前など、酷いものです。
私が歩くと犯人は飛び立って嘲り笑っているよう。
場所によってはネットを用意しているところも散見しますが、未だに徹底されていないようです。
さて「秀吉 京都輪廻転生のライン」(ブログ)と何度か触れていますが、その「ライン」は正しくは「正面通」といいます。
京都にはたくさんの「通」名があって中には初めてお目にかかるような名称がありますが、この名ほどギャップを感じる名称はありませんね。
「正面通」=メインストリート。古来より京都に於けるそのイメージは「朱雀」・・「大路」の名に匹敵するような道の名前ですね。その名称の意味するものは・・・方広寺大仏殿だったといいます。要は秀吉が演出した大仏への民間の表参道だったのでした。そのラインを現在その道の始発点の豊国社(下の画像)から河原町通まで行くとその向こうは渉成園にぶつかって断絶しますが、おおよそ今に至っては途中一方通行の極細の「通」に変貌しています。
尚豊国社からスタートしてください。徒歩でも大した距離ではありません。鴨川に掛る橋の双方にその名が記されています。
また鴨川手前の川端通の標識(柳のある図)にもその名はありました。
またバックに山並み(東山 阿弥陀ケ峰)が見えるもの東向きです。
「ライン」で記したブログにも耳塚画像を入れましたのでこちらも。
耳塚の正面通を渡ったその「正面」にあるお寺が専定寺、別名「烏寺」と言うそうです。
蓮生坊-熊谷直実にご縁がある浄土宗のお寺だそうですが、道理で烏が多いわけか・・・と通行人の眼も憚らずニヤニヤしていた次第です。
このような古い名称はどんなに細道となったとしても残していってほしいものです。
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