裏の顔 内陣側は非常に地味  丸尾月嶂の襖

戦国期終盤に幕府に替わって「天下」を手中に入れた人が入れ替わり3人が登場しました。

誰が好き彼が好きと勝手な事を言ってそれぞれの評価をしている我々ですが、個々の事案の成果のみを見てその能力を計ったり断ずることは正確なその人の評価とは違うでしょう。

 

私は「学習」「臨機」(機に臨む)と「平和主義」の3点がその三者のうち一番に顕著にその性格を表わした徳川家康が大成した理由だと思います。

前を歩んだ他の二人の道のうち、その失敗と成功を学んで自らのあるべき道を修正していったこと。人間は成長に従って考え方が変わりますし、外部からの影響もそれを左右しますので、だれだれの性格・・・とその性格を決めて好き嫌いを申しても致し方ないことだと思いますね。

 

まぁ秀吉の如く若年から壮年、老年の性質の変化に後半生、天下を手中に入れたあたりからのハチャメチャ振りは論外(以前にも秀吉のそれを記しています)として、天下に君臨するにはある程度の一貫性が無いとダメでしょうね。

 

狸オヤジとか狡賢という悪評満点の家康嫌いのイメージは倒幕を旗に維新とやらに邁進して成功した明治期以降に刷り込まれ、江戸東京(そしてジャイアンツ)に反発する大阪人(大坂人)の指向が重なって流布されたものだと思いますが、私は何よりもその結果を重視しています。

 

これは文句ないでしょう。家康が征夷大将軍に任じられ幕府を開いたのが1603年でいわゆる幕府崩壊を意とするなら大政奉還が1867年。

15代260年ちょっとの超長期安定政権の基盤を作った人ですからね。結果的に他の二人の追随を許さないほどの「勝ち」であって、この点から言ってもあとからどうこう言われるスジはないですね。

 

自分が亡くなったあとのことを考えての各差配(豊臣家滅亡への道の画策を筆頭に)事前対策はまるで図星であって徳川家にとってその結果は素晴らしい繁栄をもたらしました。

特に思うところとしては家康時代に行われた以後永年にわたる鎖国のベースとなった①秀吉のバテレン追放令以来様子見をしていた家康が慶長十九年(1614)に発したキリスト教禁止令と

②明以外の船舶の入港を長崎平戸に限定していること。

 

傾向としては対外政策の舵取りによっては政権を危ぶませるかもしれないという意思が見られます。信長の考えとは180℃方向は転換されていますし、秀吉とは後期の方向性は踏襲していますが、逆に海外に出て領土を切取る(朝鮮出兵)などというバカげた妄想に駆られなかったことは素晴らしい発想と思います。

これはもう「戦争はおしまい」ということですから鎖国という何にも関わらない・・・関わらせないというやり方は極端にしろ「不戦」に関してのイイお手本ではありました。

 

色気は出さず、知足(足るを知る)に徹したワケです。

まぁ幕府のみが儲けられるシステムは残しておいたわけですが・・・。

陸上競技のリレーはバトン渡しが一番難しいといわれますね。

それを延々260年以上第一走者家康から全15人をトップとして走りきらせた人間の力量たるやその強烈な政権維持力には感服させられます。

 

私は各ご意見あってもイイとは思いますが、私が家康のみをその3人の中で100%の評価をしたいという理由です。

ちなみに他の二人は両方ともほとんどゼロ評価となりましょう。あえて評価する点をあげればその失敗のサンプルを提示してくれたことでしょうか。

 

さて、このほど静岡県立美術館にて

「天下泰平の時代が生み出した珠玉の名品が静岡に集結」と題して狩野派と若冲の「白象群獣図」等の展示会が催されます。

各特別講演会が同時開催され、どれもこれも拝聴したいものですが地元からでは9月18日日曜日に小和田哲男先生の講演会が予定されています。

台風の進路によって微妙ではありますが・・・(詳細)。

 

画像は拙寺本堂の内陣と外陣を隔てる障壁画(襖絵)。

今年の盂蘭盆会の返礼品にその襖絵を絵はがきにして皆さんにお渡ししていました。

丸尾月嶂の襖絵修復の文書を先般記しましたがその襖絵のことです。

ただしいつも皆さまが目にする煌びやかな絵の裏側になります。

いつも視界に入っている私でさえ、このように画像をしかと見ることはありません。

あらためてこうして見ると「そういうものなのだろうな」と感じます。

それは何よりもお内陣は薄暗く如来さまから御開祖に蓮如様たちを照らし出すスポットライトをオンにすれば襖の上に設置されていそれのおかげで絵柄が汚れ染みのようにしかみえないほどの暗さになるからです。

 

目を凝らして見てもやはり図柄は微かに彩色はあるとしても地味すぎですね。それも図柄の蓮に元気や溌剌さが感じられません。かといって手を抜いて記しているワケではないように見えます。襖の表と裏はそういった差をつけるものなのでしょう。

 

④⑤は 伊藤若冲の蓮池図です。 こちらは重要文化財 寛政2年(1790)大阪西福寺堂内の内陣と外陣を隔てるものです。

有名な群鶏図の裏面になりますね。

同様に蓮を描いていますがこちらは殆ど水墨画。図案もより枯れ果てたもので「世の無常感」というものが漂います。

その画像のポイントとなるものがよく言われる新しい息吹、「誕生」ですね⑤画像右の新芽のところ・・・。

無常荒廃の中、次のバトンは伝わっているということの示唆ですね。

 

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コメント: 2
  • #1

    野村幸一 (木曜日, 15 9月 2016 00:24)

    先日頂いた絵はがきですね!知ったら余計に大切にしなければと思いました。

    小和田哲男さん…歴史好きで知らない人いないでしょうね。ルーツ調査で何かヒントもらえないなかぁ…σ^_^;

    とか妄想しております。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 15 9月 2016 00:41)

    ありがとうございます。
    さすがに個々のルーツまでは小和田さんでも厳しいかも・・・
    また思い付きレベルですが記させていただきます。