品川区超一等地  880坪  細川家墓域 はずかしい

メタンガス放出による温暖化の悪循環の構図、説得力がありました(総合9時 MEGA CRISIS 巨大危機)。

この調子では来年あたり近隣で「41℃」などという数字も拝むことになるのでしょうか。NHKは面白い番組を作ります。

かといって何とも「なす術がない」というのも歯がゆいところです。大局的な地球の歴史という見地から思量すれば、そういった状況はいずれ収束し、ローテーションの如く寒冷期が訪れるのでしょうね?

将来のことはまったくわかりませんし、こちとらも「生きちゃあいねぇや」の気分でございます。

 

まさか化石燃料への依存にその(温暖化)原因を求めてしまって、「原発依存は致し方ない」などという結論を示唆し原発許容の締めとなるかとその意図を見守っていましたが、番組はまったくそういうものではありませんでした。

ただただ異常気象への警鐘が趣旨。

 

そっちの方は化石燃料の依存からはますます自然エネルギーへ傾注シフトしているところですし、あれだけクソ暑い日々連続の中日本全国エアコンフル回転であっても、電力供給にまったく問題がありませんでしたからね。

原発がなくても「ぜんぜんOK」ということが、よ~くわかりました。

 

さて、墓地散策をしていて「墓域だから」を理由に門内禁入を宣言し俗界より隔絶した場所があります。

それはまず、今も代々末裔が存在し、確りとした管理がなされているところが多いですね。

大抵の墓は各家一統のものであったとしてもどこかの寺の墓地の一画というのが普通です。そういう場合は隔絶はなくだれでも参拝できます。

 

また、墓などというものは「都市の端っこ」か山の中のひっそりとした場所に佇むという表現が似合うものですが、時としてこんな場所に?と思わせる墓たちと遭遇します。

小田原駅前のキャバレー街の奥にある北条氏政・氏照の墓などが第一にあげられます。当初はこちらの墓たちもある程度の敷地や寺院らしきものがあったことでしょうが今や猫の額ほどの敷地になっています。

また以前記した大坂は千日など、かつて広大な墓域だった場所で、開発と並行してアベノの墓場に移されていきました。

要は地上げの対象に一番になりやすいのが墓場だったわけです。悪い言葉ですが「死人に口なし」ですね。無縁さんでしたらカンタンです。

 

脱線しますがその忌むべき言葉で思い出すのは、先日の二丁拳銃のおじさん。

結局は自身で命を絶って事件を清算したわけですが、何故に包囲陣はあそこまで引っ張って何もしなかったのでしょうかねぇ。

まるでその解決(犯人自決)を只管待っていたかのようでした。

一番安堵している人(利益を得た人)はだれかを考えるに、①銃の入手先②違法薬物の入手先③包囲していた人たち④ご近所・・でしょうか。

①②は当人が亡くなってしまっていますのですでにお話しは聞けません。

 

品川東海寺に隣接したエリアで880坪と一つの家の墓地としてはあまりにも広大で圧倒される細川家の墓域です。

それも都内一等地品川区内山手通り沿線ですから(場所はここ)。もしこちらが早い時代に更地にされていたとしたら高層の億ションも建つような場所です。下世話な話でついつい「資産価値は・・・」など考えてしまいます。

 

細川家と言えば多様な系統がありますが肥後熊本藩中興、六代藩主の細川重賢(しげかた)の墓があるそうですがその人は当初は「長岡」の名のりでした。

この家が長子以外の男子が「長岡姓」を名乗ることからも勝龍寺城の忠興とガラシャを思い出しますがそれが正解です。

忠興 - 忠利 - 光尚 - 綱利 - 宣紀 - 宗孝 - 重賢 になります。

 

あの九曜紋の件、兄の細川宗孝が江戸城本丸で板倉勝該に斬られるという突発事件の発生により急遽細川家を継いだ人でした。

細川中興の人でもあり、のちに北里柴三郎を輩出した「再春館」なる藩校をつくったことは知られています。現在熊本に同名の会社があってさらに全国的な名になりました。

 

こちらは東海寺の隣り合わせの墓域ですが、元は細川家の菩提寺としてあり、廃寺となったそちらの塔頭寺院の跡となります。

墓は69基あってそのうち五輪塔が50基あるとのこと。

四代藩主の細川宣紀以降歴代一統の墓が並んでいるそうですが、何せ通常時は外部から覗き見程度ということになってしまいます。現在の代表者は細川護熙氏ということになりましょうが、「文化財ウィーク」(平成28年10月29日~11月6日)には一般公開されるとのこと。ただし現在詳細不明です。

 

①は山手通り越しに見た墓域の白壁。②~⑥が「はしたない」ですが覗き見、「盗撮」の図。息子に「みっともないからやめろ」と指摘されています。

現状目黒川と山手通りに挟まれた場所です。先日記した要津橋から見て右奥の林の中です。

 

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コメント: 6
  • #1

    road (水曜日, 03 1月 2018 00:23)

    墓所の目黒川沿いの建物が細川護煕名で現在建替工事のため更地になっていますので墓所を拝見できます。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 03 1月 2018 07:47)

    ありがとうございます。
    すごいチャンスですね。
    都心に向かう機会に恵まれたら立ち寄ってみたいと思います。

  • #3

    ナナシ (水曜日, 24 11月 2021 21:55)

    九曜アートという団体の建物になっているところでしょうか?もう建て替わってしまったのか、最近見に行った時には見えませんでした。

  • #4

    今井一光 (水曜日, 24 11月 2021 23:16)

    ありがとうございます。
    最近そちら方面に近づくことができずにいてまったくわかりませんでした。
    情報ありがとうございました。

  • #5

    森中良弘法 (木曜日, 07 12月 2023 19:43)

    有難うございます。昔は塀もなく自由に入って見学出来ましたが今は高い塀で囲われていて入れません。入り口は川沿いの塀横の細川事務所からでしょうがインターホン押して見学希望しても私有地だからと断られます。
    文化財見学会等を利用するしかないですね。とにかく大名墓としては超一級ですね

  • #6

    今井一光 (木曜日, 07 12月 2023 20:41)

    ありがとうございます。
    墓域の管理もあれだけ広いと大変でしょうね。
    不特定多数の者がズカズカと御先祖の安眠を踏み荒らすと感じるのは致し方ない
    ことです。
    周囲の緑を残す意味でも未来に渡って維持いただければと思います。