「無常」に日々触れて 生かされていることを

昨日は小田原に墓参りに向かう予定でした。

何時に出発してやろうかと5時代よりスタンバイし、ついでにクマゼミの泣き出しについて確認しようと耳を澄ませていました。

するとまず6時06分に境内の1匹が単独で「本日のファースト」をスタート。そのあと遠くの方で追随するように2匹目が。

そして境内から複数が泣き出してからアブラゼミたちが続いていつもの午前の部の開演でした。

午前10時頃には一旦一斉休憩に入りますが、アレも不思議ですね。しかしあの小さい体で「よくもまぁ」と唸らせる一所懸命さを感じます。

彼らの生きざまはまさに「命の燃焼」ですね。今本当に彼らなりの輝きを発しています。

「おいお前、俺たち(セミ)に倣え」と焦りにも似た感情も僅かに感じます。

「そういやぁ私も来年の夏を味わえる確証なんて無い」などと思うワケです。

 

テレビを点けて西湘方面天候悪しの報、そのため墓参りは急きょ中止にしました。

その後叔母から「目の調子が悪くて瞼が開かない」との連絡があり、お昼を一緒することになりました。

そもそも叔母の「具合が悪い」の連絡に緊急性は殆ど無いことはわかっていますが、かつて放置してとんでもないことに繋がっていますので、その手の連絡があった場合は念のため「おっ取り刀」ではないにしろ駆けつけなくてはなりません。

 

「とんでもないこと」の一例は、「誰か泥棒が入ったかもしれない」という話を放置していたところ、それと同じことをたまたま訪れた知り合いに告げたため、おせっかいにも110番されて、菊川署の現場検証が始まっていたということです。

 

また先日も「鍵をなくして叔母が家に入れない」という緊急事態を近所の方からの連絡を受けて、ドアを開けるための道具一式を用意して向かおうとすれば、「鍵はなくなったのではなく開け方のコツの問題だった。よってドアは開きました」という連絡がありました。

ただしドアを開ける際に、勢い余ってその方のメガネを破損したそう。叔母は「申し訳ない」ということで2万円を支払っていました。まったく溜息の連発、ドタバタ劇になっています。

 

これらをボヤいていれば、「早くそちらで引き取りなさい」と逆ギレされそうですから、今のところは大人しくしています。

ちなみに叔母は痴呆が出現していますが、まだ介護認定はありません。

 

さて、関東以東の天気は悪かろうがいつものように遠州の天気は晴れ。あまりにも快適で、5月にオープンした磐田福田港の「渚の交流館」の「漁師のどんぶり飯」を所望しました。前回は行列で諦めたお店です。

するとあの時は何人もいた警備員はゼロ。

一瞬「本日定休日?」と心配しましたが、それはただ「既にピークアウト」していただけでした。

ほとぼりが冷めるとこうも人は引いてしまうのですね。ある意味恐ろしいこと。

 

カタログ通販のニッセンという会社について、一昨日「赤字が止まらない」風報道がありましたが、あの会社が一世を風靡した1990年代前半からすると酷い凋落ぶりになっているようです。殆ど会社存続不可能な状況でしょうね。

一言で「カタログ通販はネット通販にシェアを奪われた」ということになりましょうが外野席から好きな事を言わせていただければ、「もっと早く気づけよ」ですね。

ネット通販各社が雨後の筍の如く出現し、業績を飛躍的に伸ばしている中、いつまでもカタログをペラペラ捲って注文する方式は「古式ゆかしい」と思ってさっさとネットにシフトしていかなくてはならなかったでしょうね。

昔の最盛期のすばらしい業績、実績が頭から離れなかったということでしょうか。文化の「古式ゆかしい」は正当な指向ですが、企業形態の維持としてはリスキーです。

 

過去の華々しさにこだわる事は致命的なのですね。

これは一般には「バブルの頃」ということです。この再演を期待すること、同様の方策での果実の期待はそれにウェイトがかかるほど、再起不能となってしまう例でした。まぁあの会社はメジャー流通社のバックがありますので社員さんは何とか救いがあるでしょう。

 

日本経済をバブル時代のような繁栄と活気を望むような為政者のリップサービスと為替操作による輸出企業の一瞬の快楽演出は違和感がありそれらを狂信的に信奉することはもは「理(ことわり)として無い」としか思えません。

もし、単体で何かの繁栄成功を得ることがあるとすれば、より斬新でまったく新しい分野のシステム(ハード・ソフト含め)の創造でしょうね。私にはわかりません。

 

ただわかっていることは今大笑いして喜んでいる人もいつかは滅びるということ、またそれは明日明後日のことかも知れないということです。だから人間世界は面白いのですがね。

セミのように思いっきり、なりふり構わず鳴きまくって(ただしオスのみですが)、時に鳥たちの餌になったりしながらそれぞれの一生を終えることはある意味素晴らしく羨望でもあります。