小学校6年生の 校外学習 「 おっさん 」とは

小中学校教員を勤めて拙寺14代として入った父親の命日が6日金曜日。金曜日は連休の谷間で息子は授業、奥の墓道氏は会社とそれぞれぶーたれながら地元を離れて各日常のベースに戻っていきました。

 

その6日は拙寺では小学校6年生の校外学習の受け入れで午前から本堂でスタンバイ。

頭痛と頭痛薬のアレルギー(くしゃみ)の発症?出現もあって体調は少々不良ではありました。それとは関係がありませんが、私はジャージとトレーナーといういつものラフな格好で失礼。

 

子供たちの主題は「丸尾月嶂襖絵」の見学だったようで、一応ポイントとして松と竹そしてクジャクの細密な絵についてサラっと。クジャクの羽に描かれた♡型についてもひと講釈付き。

グループによって酷く解説に波がありましたが伊藤若冲の白鳳の話まで飛び出したときは自分でもオカシイだろと自問。

 

「何でも質問して」と問いかけると子供たちは無邪気。絵の事や歴史の話はそっちのけで私への質問が集中。

「歳は?」「奥さんはいるの?」「髪長いね?」「お経読めるの?」そして挙句本堂にある正信偈を持ち出して「コレ読んでみろよぉ」と。

 

本堂前で待機していた先生がその様子を感じて堂内に入ってきて「失礼なことを子供たちが言って申し訳ありません」としきりに謝っていました。

私は「全然かまいません」というも、帰り際に先生は子供たちにお説教をしていました。

私がへらへらニヤニヤしていたせいで気安くなってしまったところなのでしょう。教師からすれば指導的には致し方ない部分もありますが、結果彼らに悪いことをしたと思いました。

来年は大澤寺訪問は無いかもしれませんね。

 

まあ彼らはうすうす私がこの寺の管理者(住職)ではないと考えたのであろうことはわかります。

この前に訪れている平田寺のご住職について聞いてみると「おっさん」だったと。

この「おっさん」とはいわゆる「(中年の・・・)オッサン」という意味ではなく一説に「和尚さん」からきた語だと聞きます。

ということはその語は「お坊さんらしい人でした」ということになりましょう。

 

拙寺でも私はその言葉で声掛けされることもありますが、「和尚」は禅宗系の言葉で当流この地域では「ご住職」からなまった「ごじゅっつぁま」「ごじゅっつぁん」が正当ですね。

昔からその言葉が耳慣れています。

 

私は子供たちに「正信偈」冒頭の部分「帰命~を読んでみろよぉ」には「ヤダね!!」と応戦しましたが、「意味は・・・?」には「ありのままにおまかせします」と今の私のありさまと掛けてそう言っておきました。

 

今回の子供たちの質問で一番多かったのは「大澤寺」の「澤」と「大沢寺」の「沢」の違いについてでした。

「新旧の違いで両方とも〇だよ・・・。」

古い字の方は書くのに面倒だから省略形の「尺」となったことを伝えると、大沢に住んでいるという子が「今でよかった」と安堵の顔。「こんな字めんどくさい」と。

なるほどと思ってその手の漢字はたくさんあるので集めて夏の課題にしてみれば・・・と提案しておきました。

 

富士山の画像は東名富士川SAより。

今頃の季節は黄砂の影響でハッキリしませんね。

青い空と白い雪のコントラストは真冬に限ります。