イヌ付きの名は「劣」の意   犬筑波集  山崎宗鑑

拙寺外周の植栽は通称「槙」(まき)。

「槙」といえば、まず「イヌマキ」のことでしょう。生垣に使用されることが多く、どこでも家の外周をその植栽で覆う姿を目にすることができる、今ではごく普通の木。

ただしその材は中国の需要が特筆的で一時は高額で取引されていたようですし語源は「真の木」から。

 

それに対して「コウヤマキ」はお上品で細長い葉、カタチのイイ樹形は気の利いた庭園の花形として重宝される木です。

名前の通り「高野山」に広く分布する木で、品格を表わす樹木ですね。材は耐性が強く特に権勢を誇った者たちが棺材として利用したといいます。

 

ということでイヌマキの「イヌ」付けは・・・偽物、ハッタリ、劣悪のような意を表しています。

他の植物にもそれを見ることができますね。

 

ツゲに似ているが材質は劣るイヌツゲ、桜に似た葉でありながらやはり「今イチ」な白い花をつける「イヌザクラ」等々・・・

しかしどれもこれも人の勝手な言い分による評価であって一所懸命に生きる彼らからすれば、その「イヌ」による判定をする「人」に対して、「お前はどうだい?」との反論があるのではないでしょうか?

 

以前、ブログで色々と「サムライ」と何かに冠することで一種「カッコよさ」を表する傾向があることについて、日本史上においては「それほどでも・・・」とひねくれたような事を記しましたが、これは侍の語源が「さぶらう」からきているからです。

要は貴族階級の下働きで最高に出世したとしてもせいぜい「五位」までと決められていました。

元の「さぶらう」は「ご主人様御付きのお手伝いさん」程度の名で「武士」をイメージするのはずっと後からの話ですね。

 

貴族階級の人々からすれば、多少頭角を現して、出世しつつあっても所詮はイヌ付きの階層で、実際の犬の性質の通り、主人の近くにいて主人の趣通りに従僕にまたは時として威勢を振るったりしたのでした。

職業の差別的表現となってしまったらごめんなさい。

よく映画やドラマの台詞で警察の事を「イヌ」と呼ぶことを耳にしましたが、殆どこれも上記の如く①犬のように権力者に従順であって②時として民に牙を剥き③何より「下級役人」というイメージがあったからでしょう。

 

全然関係ありませんが「猫侍」という時代劇を見て、今は「イヌよりネコの時代だなぁ」とつくづく思ったものでした。

尻尾を振って主人を裏切らないというイヌの特性より、気分屋でマイペース、しばしツンデレのネコの特性が好まれるようで。

 

さて、標記「山崎宗鑑」は近江の人。

出自は名門佐々木系といい室町幕府九代将軍の足利義尚側近として彼の側まわりに。六角攻め陣中(鈎・・・まがり)にて一説に酒の飲み過ぎで突然亡くなった主人の義尚のあわれに世の無常、

然に自信の身の振り方に絶望したのでしょうが、これにて主流世界を離れて出家、文化人趣味人として洒落の効いた余生を興じます。

 

宗鑑は出家名で、山崎は移り住んだ京都大山崎の地から。

そもそもの彼の名乗りは「範重」のようで、もしかすれば佐々木姓なのかもしれませんがそこのところは不詳のようです。

山崎の地は何度か記していますが(大山崎美術館、観音寺、十七烈士、大念寺等)、天王山の麓と解していただければよろしいかと。

 

その登城口というか山崎駅前に妙喜庵という山崎宗鑑の隠居場があります。宗鑑が四国讃岐に去ってしばらく千利休が「待庵」(たいあん)という茶室を作っています。

 

ここで注目、「侍」はニンベンで「はべる」「さぶらう」「つかえる」、「待」はギョウニンベンで「もてなす」と変化します。とても似ている字で語源は特に興味深いところ。

「単純服従から客としてもてなす」というひょっとするともしや逆転?と思わせる変化は、利休の秀吉への接し方とその後の秀吉の彼に対する感情の変化にもつながっているような気がします。

 

山崎宗鑑は連歌全盛の期にあって、これまでの貴族的な趣味を排して独自の歌風を作り上げます。要は今風にいう「笑い」の部分でしょうか、正統派連歌界からは「少々お下劣」と揶揄中傷されても媚びることなく、山崎宗鑑は自虐的というか自身の俳諧連歌撰集の名を開き直って「犬筑波集」と命名しています。

これは先に出た連歌集の『新撰菟玖波集』に対抗して表現したものです。

辞世の句もシャレがあって

 

「宗鑑は  いづくへと人の   問うならば

      ちとようがありて  あの世へといへ」

 

です。「よう」の部分が用事の「よう」と、腫物(細菌感染症、皮膚病)の「よう」と掛けています。宗鑑は晩年、その病で苦しんでいたとのこと。

 

①画像は山崎駅。隣にヤマザキデイリーストアというのもシャレのよう。②③④駅前ロータリーにある妙喜庵。

踏切手前の駐車場は非常に便利。1コインで1日中遊べます。

車で上がってもまともに停められる場所はありませんので。

踏切を渡ったところが登り口。

その碑の脇に霊泉連歌講址の碑と歌碑が。冷泉庵址とも。

 

「うつききて ねぶとに鳴や 郭公(ほととぎす)  宗鑑」

と彫られているようです。