「宗三(義元)左文字」の寄贈先 建勲神社

先日の次男の引っ越し荷物搬出入の際、その往来で京都千本通りを頻繁に通行しましたが、それと北大路通との殆ど交差するあたりに小山があります。

その山を船岡山と古くから呼んでいますが山の北側、北大路通を隔てた向かい側には大徳寺の寺域が広がります。

その船岡山にあるのが建勲神社です(場所はここ)。

 

明治天皇が織田信長を再評価しようと明治二年に建てた神社です。元々は山の麓にあったものを明治期後半に山頂に移動させたといいます。

新しい神社で私としてはこの施設そのものにとりわけ興味を惹くものはありませんが、ところがどっこい地元散策の紳士と会話に及ぶと・・・

「土日なんて参道を女の子たちが並んじゃうよ・・・」と。

 

私がこの男性に最初に声を掛けた言葉は、「あの左文字はこちらでは見ることができないのでしょ?」でした。

男性の「え?何それ」との返答にはそんなものかとは思いましたが「刀」ということを説明して上記の言葉となったのでした。

 

あの刀剣は展示会用に引っ張りだこで、全国行脚に回っていることが多いでしょうからその辺承知のうえで最初からそんな質問をしたわけですが、何よりもその男性のおどけた風の語り口には驚きました。

多少は話を盛って語っているのだろうとは思いましたが、奈良薬師寺の件からしてまったくその通りだろうと今更思い直したところです。

 

その際、無知な私は、「刀が無いのに彼女たちは何しに来るの?」と訝しがって反論してしまいましたが、そこにはうまいシステムが構築されていてここもまた驚かされるところでした。

 

「京都刀剣御朱印めぐり」(5月31日まで)と称して、刀剣にゆかりのある京都の4つの神社を回って御朱印をもらう「特製御朱印帳」なるものが用意されているとのこと。

カードゲームのカードの如く、それらを集めるということが彼女らのステータスだったようです。

この世は何が当たってどう廃れて外れるのかはまったくわかりませんが、行けると思ってこのような形で神社同士が連携する姿は臨機機敏な動きで評価しなくてはなりません。

いずれにせよこのブームであるならば、私でも何とかついて行けそうな分野ですね。

 

ちなみに他の3つの神社とその刀剣は

①建勲神社(宗三左文字)

②粟田神社(三日月宗近・一期一振)

③藤森神社(鶴丸国永)

④豊国神社(骨喰藤四郎)

 

特製御朱印帳(ファイル付)と「特別な御朱印」を授与しているようです(最後の画像)。

現物の刀を見られるならまだしもねぇ・・・今いち理解しきれない私があります。

⑩画像は船岡山に取付く前に振り返った様子ですが、北大路通りの「今宮門前」の交差点。まっすぐ突っ切れば今宮神社にあたります。