引佐インター渋川路「ちんだ」 渋谷金王丸の墓

昨日お会いした方のお話。当地区にて漁業権を持っている方です。

以前も鰻の稚魚についてはブログで記しましたが、「ホントは鰻が少ないなど大嘘」と。

私が子供の頃、小田原の早川にてザルを使って水草の根元をすくい小魚やエビを採りましたが、その中で一番「雑魚」の如く大量にザルに入ったのが「め(ん)そっこ」と呼んでいた鰻の稚魚です。まさかこんな高値のものなどと知る由もありませんので、その頃はひたすら川に戻していました。

 

数年前は鰻が絶滅危惧種であり、稚魚がまったく取れず、うなぎ屋は店じまい、鰻重の値段が跳ね上がったことは記憶に新しいところ。日本中「鰻は高価」という概念が刷り込まれていきました。

 

ところが、当地相良の鰻稚魚の漁獲者は相場が「キロ100万円」まで跳ね上がった時など「ウハウハ」、「笑いが止まらなかった」そうでした。聞けば大抵「秘密だよ・・・」と言いながら「いくら儲けた」と・・・。信じられない数字です。

 

現在はマスコミで「鰻の件」まったく触れなくなりましたね。たくさんとれ過ぎて、それを報道すると相場が崩れるから・・・かもしれない・・・と。

解禁されてからの漁獲期間は4月までが通常のようでしたが今年はとれ過ぎてすでに「終了」になったそう。

相場は九州あたりではキロ20万円くらいまで下がっているようだと。

 

ところが高騰した店頭の鰻の価格は高止まりしたまま。

世の中の仕組みにはどこか首を傾げたくなります。

先般勢い余って飛び込んだうなぎ屋さん、「当店は蒸さないうなぎです」に唖然。

私は関東系の蒸してから焼いたふわっとした触感に慣れていますので地団太を踏みました。

 

さて、先日は引佐インターから道すがら鈴木住宅を過ぎてさらにそのまま渋川方面へ向かった際に見かけた地名について記しました。

そちらからさらに進むと「ちんだ」という地になります。

バス停までしっかりと記されていますが、地元の方は何故そのように呼ばれるようになったかといえば・・・

まず、「渋谷金王丸」という人の歴史を話すでしょう。

 

一説に渋谷金王丸は源義朝に仕えていたそうで義朝が知多内海で長田忠致に討たれた際、同座していたとのこと。そちらから逃げ延びて渋川に参ったということです。

この地で何があったかわかりませんが-掲示板には口論と-目を疑うような数字が記されています。

 

何と一緒に落ち延びた源氏の残党74人を(一晩で?)斬り殺したというのです。こういう数字が「すべて眉唾」にしてしまうきらいがありますが、あまりにも荒唐無稽に近い数字ですね。

以前記した「鍵屋の辻」の「36人斬り×2+2」ですから。

 

よって尾ひれがつきまくってこの数字に膨れ上がったのか、それに近い大量殺りくがあって渋谷のせいにした伝承が残ったのかそもそもそのようなことはまるで無かったのか、今となってはわかりません。掲示板参照いただくとして、出自は平氏、現東京の渋谷の発祥ともいいますし、渋谷姓のもとでもありましょう。

ハンズ時代お世話になった渋谷さんを思い出しました。

その方はいくらキレたとしてもそんな暴れ方をするようには見えません。

 

とにかくその「ちんだ」を漢字にすれば「珍田」とのことですが看板には「血沢」からなまったというようなことが記してありました。

元の漢字を推測するとすればストレートに血の海ならぬ「血の田圃」で「血田」の方が分かりやすいですね

 

私はこの強烈にインパクトのある地に何度か赴いていますが、街道筋から外れた、いかにも落武者伝説がありそうな場所です

ただ普通に渋川方向にのんびり走れば左側にこの看板が見えて、

山が迫りながらもちょっとした開削地がありますのでわかりやすい場所です。この地を意識していれば、誰も目に入ってくる光景です(場所はここ)。