365日死ぬまで働け  増長経営為政者名言  奴隷

京都在住の息子は、寮の友達らと現在広島にいるとの連絡がありました。春休みの余裕のようで、どういう目的で、どういう手段で、資金的余裕について、まったく当方関知していません。

余裕の一服の時間とはいいながら、学校授業のある間もかなりの無駄時間をかましてくれているようですから、これでは年がら年中遊んでいる感じがしてなりません。

もっとも私はどうしてもその周辺の城や墓へ訪問したいという羨望の心がもたげてしまい、半分はそちらの方の口惜しさが主ですが・・・。

 

そんなことなら「バイトでもやらさせれば・・・」と周囲はいいますが当人も遊んでいる方がイイに決まっていますからね。

彼の地元の友人たちといえば、皆さんしっかりバイトしています。居酒屋に焼き肉屋・・・が主たる業種です。

私の学生時代はお茶屋の配達と宅配便・引っ越し屋のバイトでした。

 

お茶屋のバイトは関東一円にあるスーパーマーケットに催事専門のお茶を届ける仕事で早朝深夜が主でした。

給金は悪くなく、隣に「奥の墓道氏」を同乗させるなど(勿論会社には内緒)、お気楽な仕事でしたが、次の日は眠くて学校どころではなくなりました。

仕事を休めば強烈な出社依頼、しまいには「正社員にする」などと言い出す始末で、そろそろ潮時かなと思っていた頃に環七で居眠りをしてトンネルの側壁にこするという自損事故を起こしました。

保険を適用してもらいましたが、今「ブラック」といわれる企業が溢れる中、事故については自己責任、弁済は個人という会社があるようです。

 

ある引越社の過酷労働と「自己責任」についてテレビ(ガイアの夜明け-「長時間労働をなくす!」)で報じていましたが、あの会社コマーシャルのイメージとその内実はかけ離れていることがわかりました。取材陣への会社幹部の対応が映されていましたが、アレではまるでチンピラヤクザ。企業イメージはかなりダウンしましたね。

 

「だれがあんな会社に引っ越しを頼むものか」という感じになりました。もっとも私は引っ越し業者は頼まず、いつもレンタカーと友人の手を借りていましたが。

その会社を訴えた方の超過労働は国が過労死に繋がるという数値、「100時間」を大幅に超えていました。また過労によって事故を起こしその弁済費用は給与天引きという惨さ。

 

また標記はこの「ブラック」世界のチャンピオンと世間を囃した、居酒屋「和○」の会社理念。これはあまりにも著名な文言でいまや名言ともいえるレベルでほとんどお笑いの台詞

 

昨今バイト書生の手を借りたい悪徳企業の露呈は枚挙に暇がありません。ただでさえ人手不足の世の中、ますますその傾向は強くなってくると思います。

私もアルバイトに関して振り返って「自分のためになった」といえるものはあまりありませんでしたし。

冗談じゃあないですよね。学生を捕まえて奴隷のように喰いものにしようとする経営者があるということが頭から離れません。

 

そういうことで私は「くだらんバイトをするなら遊んでいてイイ」などと言い放ったことも事実ですがね。

 

「奴隷」といえば、例によって国の議員さんの言葉がありました。いわゆる増長したタレント議員のパフォーマンスでしょうが、飲み屋のカウンターの酔っぱらいの放言にも似た言葉です。

品位に欠けますし、そんな考えの人が未だ存在するものかと耳を疑いましたが・・・スポーツ選手に芸能人に政治家そして特にそれらを兼ねたタレント議員殿にはロクでもない思い上がった輩がいますね。恐れ入りました。

 

「奴隷が大統領」とよその国、アメリカ合衆国の大統領をつかまえて「黒人=奴隷」との断。ここまで来ると弁舌お上手のあの方も要するにただの低レベルの小僧(変質的態度、言動で自己主張したがる・・・)でした。

 

余計な事を記しますが、「黒人」と人種の色を言うならば私たちは「黄色」の国。アメリカあたりでのスラングで「黄色」は一番嫌われる「臆病者」「卑怯者」のイメージですので、あの方がお好きそうな優劣感を持ち出すとすれば「黒」より劣る色ですよ。

黄色が黒を嗤うなど人種ネタの発信はもはや異常者。

ブラック以下なのですがね。そういえばブラックでおなじみの会社経営者の議員さんもお仲間にいらっしゃいました。

「国民のため」は異口同音に発しますが、殆ど嘘っぱち、みんな「自分のため」の人種でしょう。

永田町が胡散臭さ満点の輩の集まり「魑魅魍魎世界」といわれる所以です。今のところ政治家=異常者を示唆する事案がありふれています。

若い方たちへ、あやつらの選出は慎重吟味不可欠、重大責任となりますぞ。心して投票すべし。

 

さて、新東名浜松引佐直近に重文指定の江戸期の茅葺屋根の家屋があります。昨日の「鈴木」続きではありませんがその名を「鈴木家住宅」と呼びます(場所はここ)。

この建物は遠州三河地域にみられる独特なつくりで主家と釜屋という家屋が隣合わせに建っていて間に雨どいが設置してあります(「釜屋」「分棟」「撞木」)。

私が訪れた時は中には入れませんでしたが、2つの建屋の間から土間となっていて釜屋の字から「かまど」「風呂」の設置と作業所を兼ねていたのでしょう。また馬小屋も奥にあって人馬一体の生活が思い起こせます(サイト)。

 

かつてはこの地区の農家といえば当たり前のようにこのスタイルだったそうですが、もはや絶滅建築様式。ただ古いものをぶっ壊して新しいものを作るのではなく、残す努力というもの決して忘れてはいけませんね。浜松市の努力に拍手を贈りたいです。政治家や経営者というものはまず、その手の事は嫌いですね。

なぜならば儲かりませんから。