早起きは三文の徳   嘘かホントか満光寺の鶏

長い人間の歴史の中、生活習慣として大きく変更があったのは「起床と就寝」だったといいます。

一言で言って陽光の有無による生活ということでしょうが、「日の出から日没」までですね。

タランティーノが脚本を書いたオカルトお笑いお下劣映画がありました(From Dusk Till Dawn-1996)。映画の方はゾンビのお話でタイトルはその逆、「日没から日の出まで」でしたが・・・。

 

人は生きている限り、過去の未練として残るものを生かしながら少しづつ自分を変化させていかなくてはならないのですがそれは単純に「成長すること」といっていいかもしれません。

ただし成長にもいろいろあります。

 

今回サッカー女子(オリンピックアジア予選)はボロボロの醜態を見せつけましたね。

嫌味ですから記すまいと思っていましたがやはり気持ちが許しませんでした。ごめんなさい。

 

はっきり言ってチームとしての成長はなく進化・変化というものがありませんでした。各選手たちの単純な年齢の増加はあったものの、監督も「前と同じ」路線を選択した(勿論戦術も変わらない)だけで大きな変化を望まなかったのでしょう。

いわゆるすべてが「受け身、守り」だったのかも知れません。

それがあの「~らしさ」のことでしたら合点がいきますが・・・。

 

ところがどう見ても各国女子サッカーは変化していましたね。

日本に追いつけ追い越せの姿がよく出ていて、何よりも技術的な差も埋まったところに、身長差を生かしたロングボールで勝負してきた感があります。要は選手も戦術も変化しているのでした。走り負けしていない様子は地元でよく走り込んできたことをあらわしています。

 

前回、オーストラリアに負けた試合を見て、私は早々にオリンピックを諦めたようなことを記しましたが、それはずっとミスばかりが目立って技術的向上も感じさせず、選手間の意思疎通も見られず終始ギクシャク感満点だったことからです。

 

それは多少のメンバー変更程度では変えることができず、昨日もミスから失点、そして身長差があるのがわかっていても、あいも変わらずハイボールを入れるという愚策の連続。

得点できたパターンは外からの低く速いボールでしたがその点の配慮は「それっきり」でしたね。

 

だいたい私も始終歯を出して笑っていますが、彼女らの練習時の画面を見ていると気が緩みっぱなしで試合前から「楽勝ムード」を発散していたように感じます。

今だから言いますが「ほんとに練習してきたの?」です。

厳しいかなスポーツの世界は結果のみですからね。

 

「アジアでは負けない世界一」に胡坐をかきつづけた挙句の姿と思い、一から出直す必要がありますね。

2点目を失った時、監督にカメラが迫っていましたが私の眼には「辞表を何時だそうか」という表情に見えました。

「天道」から瞬時に「地獄」に堕ちた「六道」世界の一端を見せられたようでもありました。

一旦地獄に堕ちればあとは細き蜘蛛の糸なれどただ上がるのみ。若き者たちへ、今回の先輩たちの姿を焼き付けて、また這い上がってきてください。

 

人の経験した「大なる変化」(起床と就寝)の方に戻ります。 

それはその「夜寝て朝起きる」(日輪と月輪の対)タイミングでもあるのですが、電灯が発明されて以来、娯楽も多岐にわたって「夜のお仕事」の繁盛や「不夜城」なる語が生まれたり、会社工場の勤務では「夜勤」という言葉も生まれて久しいものがあります。しかしその新習慣は高々100年前程度から始まったことで、もともとの「人」が身に着けてきた自然との付き合いではありませんね。

ということでそういった新習慣―人間の本来の生命原理に反した―に対して心身は対応ができずに疲弊し、何らかの病を発症するのだといわれています。

 

最近の私の不調はそこにあることはまずまちがいないところで①寝床を北東側の朝日が当たりにくい場所に移したということ

②PCにへばりついて就寝が遅く起床が遅くなった のが要因。

特に②はわかっていながら改善不能のダメダメですね。

 

昔の人の目覚まし時計はニワトリでした。

私の家ではそれを飼う習慣はありませんでしたが高校時代に、祭典で買ったひよこを大きくしたものたちをしばらくの間フリーで中庭で育てていました。

 

文化が崩壊しつつあるという中、当山の「除夕の鐘」について昨日は再びフジテレビ(「とくダネ!」)で紹介されていましたが、今この「鶏を飼育する」習慣も廃れていますね。

 

ニワトリは一つの「文化」といえるのかも知れません。

鳩とは違って生活に密着していますから。

新鮮な卵とイザという時にしのぐことができる食料としてのニワトリという、ひと昔前のスタンダードな家のつきものは今やクレームの対象になった感。

 

理由はいろいろありますが、それはまずその「朝一番の発声」でしょう。

意味もなく時を構わず泣きまくる場合もありますが、その「朝一」も慣れてしまえば案外大したことはありませんでした。

しかし、他家のニワトリの声であったらそれは腹が立つ安眠妨害となることは間違いないでしょう。まぁ耳につきますね。

 

15年ほど前は早朝といえば日の出前あたりからどこからともなく複数のニワトリの声が聞こえてきたものでしたが、今はまったく聞こえなくなってしまいました。彼らは朝を確実に知らせてくれました。

 

そのニワトリに関わるお話、「家康の九死に一生話」があります。

家康に関わるその手の伝承はあげれば枚挙にいとまがないということはどこかで記しました(相良近くでは滝境城近くの民家に榛原の井戸・・・)。

 

こちらに残るそれは「元亀年間」とありますので「三方ケ原戦」の負戦を示唆しているよう。

「そんなこともあったかも」という気にならないワケではありませんがまずは鈴木家のどなたかの話が家康にすり替わったのかも・・・と素直に受け取れない私があります。

 

詳細は看板をお読みいただくとして、こちらはあの登城口難解な山吉田の柿本城(鈴木長門守重勝之城址)の麓にある満光寺です(場所はここ)。

 

この寺の背後が柿本城ですから城に向かうに経験則からいって誰でもがこのお寺の背後に登城口があると踏んで取付こうとするするものです。しかし予想を外しました。

まぁ遮二無二上がろうと思えばどうにかなりそうではありますが、たまたまお寺でお会いした親切な方が、登城口を案内いただいたのでした。

 

寺の門前には都合よく道の駅「鳳来三河三石」があってそちらに車は駐車。上記の如く五平餅160円也をいただいてから散策を始めます。

 

門は1707年建立の門で新城市の文化財指定。

四脚でイイ味が出ています。踏み固められた赤土の上に建てられていて、正面右脇に宝篋印塔が正立し、門をくぐると宝篋印塔と五輪塔残欠がゴロゴロ。

境内の苔むした石仏にも癒されます。