小和田先生講演 in 勝間田 11/13    鶯の上手の声

昨日午後は春の法要(4月9日土曜)を告知するために世話人会が開催されました。

外の陽ざしはまずまずの温かさは感じるものの、本日の本堂は極めて寒いの一言。

ざ~っと議題通りに進めさせていただき、最後に世話人の小澤氏から「駿府城の現状」についてお話がありました。

小澤氏は相良史跡研究会の会長で先般NHK Eテレの知恵泉の「田沼意次」の回に顔を出していました。

静岡県庁で仕事に就かれていたこともあって退職後も駿府城天守閣の再建についてずっぼりとハマっていたことは承知していました。小澤氏は建築推進派でしたが、今年になって、犬猿の仲のようにもうかがえる静岡市長と県知事の意見がまとまったようで殆ど「GOサイン 発進」と解釈していいとのことでした。

 

平成二年より「やるかやらないか」で意見が分かれる中、徐々に「やる」という方向に舵が切られ、「じゃあどうしよう・・・」というところまできているところです。

「じゃあどうしよう」は以前ブログでも記していますように天守台は戦時中軍部に接収されて高射砲陣地とされていますので、天守遺構は破壊されています。

今更「礎石」といってもどうにもならないところでした。

要は図面無しの状態だからですね。結局は掛川城方式になるのかと思いますが、さすがにどこかの城(高知城)の真似はできませんので何かしら工夫して復元に努めるということでしょう。

 

小和田先生が当初(現状ご意見は不明ですが)「無理はやめた方がイイ」と仰っていたのもそれ(根拠レス-図面無し)が理由ですね。

しかし、歴史ド素人(のはず?)の市長や知事が「やろう」と言い出したからには予算の問題(事前調査7億 建築費約200億)はクリアーの感、あとはどう学者たちの意見を集約するかの段階に来ているようです。すでに「2021年完成予定」なる数字も先走っているよう。まぁ政治家というものは自分の在籍中に何か残したいという気持ちだけですので結構いい加減なものでしょう。

 

小澤さんのご苦労は大変なもので、殆ど手弁当持ち出しでの活動です。部外者の私がとやかく言うことではありませんし、建築費の件は静岡市民で面倒を見ていただけるようですので、築城は文句なし。2021年の駿府城の完成があるのならば、オリンピックに続いての静岡の一大イベントとなることは間違いないでしょう。

 

さて、これもきっとどこかで記していると思いますが、牧之原市教育委員会主催の小和田哲夫先生の講演会の日時が決定しました。

 

11月13日 日曜 午後1時 勝間田小学校 体育館

 

今、牧之原市が力を入れている勝間田城、勝間田氏についてのお話になるのでしょう。

 

画像は昨日の午前、法事が入っていないことをいいことに、出向いた諏訪原城現地説明会の一コマ。

50名~60名の参加者で、中には今朝大阪を出てやってきたというつわものも。

私は「20分」で来れてしまいますが、さすがに午前、日の当たらない場所は冷えました。風がまったくないというのはありがたかったですが・・・。

行ってみれば知った顔もちらほら。

静岡古城研究会の水野氏や牧之原市教育委員会の学芸員の松下氏とそのお子さん、先日ブログにて記した考古学好き姉弟です。

父親に聞きましたが長女の研究のお付き合いとのこと。

恐るべし小学生歴女。

水野氏は先日、落居の上ノ城上部山林内を探索したそうです。

 

解説はいつものように島田市の主任学芸員「諏訪原城のマドンナ」、萩原氏でしたが今朝はその上司たる課長さんのご挨拶がありました。その名を聞いてびっくり・・・孕石課長でした。

帰り際、高天神の件「あの腹を斬らされた孕石さん!?」とつい声をかけてしまいました。

 

林の中は透き通るような空気、近くで鶯の声が響いていました。

⑤は来城者が歩きやすい「ウッドセメント」の施工。

⑥大手道外堀前の標識と⑦堀側の井戸。ただし井戸については発掘未調査。予定なしとのこと。井戸は発掘調査は危険でそもそもいつの時代か不明。というのはこちらは元茶畑で、その水源を求めた井戸の工作はつきもの。

井戸は井戸でも畑の井戸の可能性があるのでした。しかし井戸は落城時に色々なものを放り込むことがあるので、あたりを取ることは必要ですね。

 

⑧の店舗はおそらく金土日月、週4限定のオープンのようです。

次回はチャレンジしてみます。旧東海道の真ん前で背後が堀と「二の曲輪重ね馬出」と呼ばれる場所になります。

第一駐車場と第二駐車場の間と記した方が早かったですね。

お隣の暖炉のあるコーヒー屋さんには以前よくお邪魔しました。